特集「2040年のモノ」。今回は、かつて「3C」と言われ、生活必需品のひとつであった自動車を考える。30年前から現在に至るまでどう変わったか。前回の記事〈『「プリウス」が世界のセレブを虜にする理由』〉では、「プリウス」を例に、モノそのものの進化を見てきた。ここでは、社会的な位置づけの変化を追いかける。

■30年前の日本、若者コミュニケーションの道具だった

 日本の自動車関連就業人口は530万人あまり。全就業人口の約9%にあたり、やはり自動車は、日本の基幹産業だと気付かされる。その自動車業界が、今大きな岐路に立たされている。今話題の「次世代エネルギー車」と「自動運転」だ。BEST T!MES編集部のアンケートでも、2040年まで大きく形が変わっているモノとして、過半数以上の人が自動車を挙げている。では本当に、自動車は大きく形を変えていくのだろうか? まずは、過去30年において自動車がどう変わってきたのか? から振り返ってみよう。

 今から30年前といえば1988年。日本はまさにバブル経済を迎えていた時期だ。その頃の自動車売り上げランキング(ソニー損保調べ)を見てみると、ベスト3はトヨタ・カローラ、トヨタ・マークII、トヨタ・クラウン。 

 カローラは当時国民的大衆車だったから台数が出るのは当然としても、2位3位がスポーツ&ラグジュアリーセダンだったのは時代を反映していたものだと感じる。このカローラ&マークIIの1-2は10年ほど続くが、クラウンはバブル絶頂の90年に3位をホンダ・シビックに奪われ、93年には日産勢に押され5位にまで落ちている。当時の時代背景を考えるとクラウンの衰退は不思議だが、逆に言うとこの10年間は高級ラグジュアリーセダンのバリエーションが急激に増え、クラウンの販売台数を食っていっただけなのかもしれない。トヨタ・ソアラ、日産シーマ、ユーノス(マツダ)・コスモと日本中の自動車メーカーがデートにぴったりで威張りの効く「ハイソカー」を輩出していった時代。そう30年前の日本では、クルマはデートの道具であり若者コミュニケーションの代表的な存在だったのだ。

 

 今ほど路上駐車も厳しく取り締まられなかった30年前は、クルマは言わば、若者が自分の支配下に置けるもうひとつの「部屋」だった。なんとシートベルトの着用義務化も1992年から。なんとものんびり(逆に言うと、それまでは交通死亡事故は増加の一途だったのだが)した交通環境だったのである。週末とは言わず、アフター5になれば若者はクルマを中心に集まって、まさにツルんで遊びまわった。若者はクルマのなかで夢を語り、愛し合い、絆を深めた。彼らのなかでクルマはなくてはならない存在だった。

 
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