文豪と呼ばれる大作家はおしなべて温泉が好きで、頻繁に温泉地へと出かけている。日本文学史上に輝く幾多の名作が、温泉宿から生まれたと言っても過言ではない。作家に癒しやロマンを与えた宿で、名作誕生にまつわる秘話をたどる。今回は、川端康成の『伊豆の踊子』を取り上げる。

初めての伊豆の旅から10年間“第二の故郷”とした

長逗留をして『伊豆の踊子』を書いた五号室は、四畳半の質素な部屋。 現在は直筆の書や写真、作品などを展示する資料室となっている。

 大正7年(1918)10月末、一高の学生だった川端康成は伊豆への旅に出た。若者が青春を謳歌する旅とはいささか事情が異なる。川端は肉親との縁が薄く、15歳の時には、ただひとりの肉親である祖父を亡くしていた。
「二十歳になったら両親の遺産が手元に入るようになっていた。そのお金で伊豆に旅行に出たのだそうです」と福田さん。

 静岡県の修善寺温泉から湯ヶ島温泉に行き、湯本館に2泊する。天涯孤独の青年は何を思い、何を感じて旅を続けたのだろうか。たしかなことは、旅先で踊子らの旅芸人一行と出会ったこと、そしてその後、伊豆に足しげく通っては湯本館を常宿にしたことだ。
 湯ヶ島温泉は天城山麓、狩野川に沿った風情ある温泉地。湯本館は老舗だが、格式張らず気さくな雰囲気の温泉宿だった。

 初めての伊豆の旅から6年後の大正13年(1924)には半年、翌年にはほぼ1年間にわたって滞在。『伊豆の踊子』を書き上げた。
 共同湯から真裸で叫ぶ無邪気な踊子への淡い恋と下田港での悲しい別れ。青春文学の傑作は、湯本館の五号室で生まれた。現在も湯本館には『伊豆の踊子』の生原稿が残されている。

 
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