満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。江崎 道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』 の中で、実際にソ連の政治工作を担当したあるドイツ人共産党員、そしてその右腕の正体を暴く。

■ドイツ人工作員ゾルゲの右腕となった日本人新聞記者がいた!

 一九四一年十二月の日米開戦までの間に、ソ連は、日本の軍略上の政策を、対ソ警戒の北進論ではなく、英米との対立を引き起こす南進論へと誘導するよう政治工作を仕掛けました。このようにソ連が、明確な世界戦略に基づいて政治工作を仕掛けたことは極めて重要です。

ゾルゲ事件で逮捕されたリヒャルトゾルゲ

 実際にその政治工作を担当した首謀者はリヒャルト・ゾルゲというドイツ人の共産党員であり、赤軍情報部の工作員でした。

 日本政府、具体的に言えば近衛文麿内閣の中枢や駐日ドイツ大使館にまで食い込んだゾルゲの工作員組織は、日米開戦直前に摘発され、逮捕されます。世を震撼させたゾルゲ事件です。
 ドイツ人鉱山技師の父、ロシア人の母の子として裕福な中産階級の家庭で育ったゾルゲは、十八歳でドイツ陸軍に志願し、第一次世界大戦に従軍します。それが転機となり、二度の負傷で帰国した直後から共産主義の研究に没頭し、共産党員になりました。非常に頭が良く、ハンブルグ大学から最優秀で博士号を受けています。

 学業のかたわら地下活動を続ける中で、ゾルゲはコミンテルンの工作員としてリクルートされ、のち、赤軍情報部の所属に移ります。

 一九三〇年、ゾルゲは上海に派遣され、そこで大規模な工作員組織を運営することになりました。そして上海での任務の間に決定的な人物と出会います。のちにゾルゲ事件に連座して逮捕されることになる、朝日新聞記者の尾崎秀実【おざきほつみ】です。

ゾルゲの右腕だった尾崎秀実

 一九三〇年代の上海にはアメリカ、イギリス、フランス、日本など各国による「上海租界」と呼ばれる租借地があり、外国人に対しても言論の自由、政治活動の自由が保障されていました。当時、中国国民党の蔣介石政権が上海を支配していましたが、この上海租界は治外法権であったため、外国の工作員が入り込んでも蔣介石政権は逮捕することができなかったこともあり、世界各国の工作員の巣窟【そうくつ】になっていました。

 上海にいた尾崎はゾルゲの組織のメンバーとなり、ゾルゲの下に蝟集【いしゅう】した世界各地の共産党員や、地元の中国共産党組織とのつながりを深めていきました。上海のゾルゲ機関には、アメリカ人の左翼作家で『中国の歌ごえ』(邦訳はみすず書房、一九七三年)など、中国共産党に好意的な著書で知られるアグネス・スメドレー女史や、中国共産党員の陳翰笙【ちんかんしょう】、元ドイツ国籍の英国人ガンサー・スタインらがいました。
 一九三三年、満洲において存在感を高めていた日本に対する危機感から、ソ連はゾルゲを東京に配置し、対日工作を強化します。

尾崎の活動を許した近衛文麿

 当時、ゾルゲ機関には日本の政権中枢とのパイプを持つ重要なメンバーが二人いました。一人は尾崎秀実、もう一人は西園寺公一【さいおんじきんかず】です。中でも尾崎はゾルゲの右腕のような存在でした。

(『日本は誰と戦ったのか』より構成)