満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。江崎 道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』 の中でソ連を誘導を明らかにする。

■ゾルゲと尾崎の情報が、独ソ戦でソ連を勝利に導いた!

独ソ戦史上最大の戦車戦となったクルスクの戦い

 ソ連は、日本政府が「南進論」を採用し、英米と戦う道を選ぶように誘導しようとしました。そこでゾルゲは、尾崎秀実を使って次のような意見を近衛内閣に吹き込んだ、というのです。

 

一、ソ連は、日本と戦うつもりはない。
二、ソ連領のシベリアを攻撃しても、大した資源がないため、日本にとって利益は少ない。
三、南方地域には、地下資源があり、南進した方が利益がある。

 

 ここで注目してほしいのは、ゾルゲも尾崎も共産主義者であるのに、共産主義イデオロギーの正しさも「ソ連は親日的だ」といった感情論も一切言わずに、徹底して利益を強調したということです。

「政治は、利益によって動く」という現実主義に立脚して工作を仕掛けたのがソ連という国なのです。

 日本にいたゾルゲは独ソ戦が始まる前に、ドイツがソ連に対して奇襲攻撃を計画していることを摑み、ソ連に警告しました。ソ連にとって最大級の重大な情報です。

 日本にいて、ドイツの機密情報を盗んでいたゾルゲの情報は、攻撃開始の日付もほぼ的中しており(ゾルゲ情報では実際の攻撃二日前の六月二十日)、ドイツの東部国境に集結している師団の数も把握した、極めて正確なものでした。

 しかし、この情報はスターリンによって無視されてしまったと言われています。クリストファー・アンドリューとヴァシリー・ミトロヒンの『ミトロヒン文書(Ⅱ)(The Mitrokhin Archive Ⅱ)』(Allen Lane, 2005, p.295)によれば、スターリンは「ゾルゲが送ってきた情報は偽だ」と決めつけ、ゾルゲのことを「日本で零細工場と売春宿をやって稼いでいる噓つき」と非難しています。

 その結果、ドイツの電撃作戦は成功し、ソ連は独ソ戦の緒戦で大敗しました。

 次いで、日本にいたゾルゲと尾崎らは、日本が北進論と南進論のどちらを選ぶのか、また、日米交渉の見通しがどうなるかについて情報を探りました。当時、近衛総理の側近であった尾崎は、日本政府の機密情報を入手できる立場にいました。

 そして、一九四一年十月四日、ゾルゲは「日本は南進論に決した、従ってソ連には向かってこない」という決定的情報をソ連に送ります。

 スターリンは、独ソ戦開戦に関するゾルゲの情報が正しかったことから、今度はゾルゲの情報を採用し、極東のソ連軍師団を大量に独ソ戦に投入しました。日本が攻めてこないことがわかったので、スターリンは安心して極東のソ連軍を対ドイツ戦線に投入することができたのです。

 日本の南進決定の情報をゾルゲがモスクワに送ったのは、まさにギリギリのタイミングでした。

 日本の特高警察は、日本にいたアメリカ共産党員の動向を探っている中で偶然、ゾルゲらの工作員活動を突き止め、一九四一年十月十五日に尾崎が、十八日にゾルゲが逮捕され、ゾルゲの工作員網は壊滅します。

 逮捕間際にゾルゲが送った情報があったからこそ、ソ連は独ソ戦に勝利することができたのです。

「日本が南進論に決した」というゾルゲの報告が世界史を決定したと言っても過言ではありません。

 しかもこれは、単にゾルゲたちが「日本が北と南のどちらに進むか」という情報を摑んだというだけではなく、日本が南進論を選ぶように仕向けた政治工作の成果でもあったのです。

 南進論を推進する上で尾崎の果たした役割は大きなものでした。

(『日本は誰と戦ったのか』より構成)