「財務省が公文書を改ざん」。ジョージ・オーウェルの近未来ディストピア小説『1984年』を思わせる最悪の事態がわが国で発生した。社会学者・宮台真司氏は、適菜収氏が上梓した『問題は右でも左でもなく下である』について、こう述べる。「デマだと攻撃して、反証されると黙り込む卑怯者。自らは平気でデマを噴き、指摘されると黙るクズ。それが『保守政権』を名乗る『美しい日本』ぶり。『保守政権』に重用されて承認されたと喜ぶ承認厨。それが『保守』を自称し『保守政権』を支えるお笑い。本書で自称保守こそ国賊であると納得した僕は、仲間と家族を大切にする国士であろうと決意した」。「朝日新聞の歴史的スクープ」を受けて、今回、適菜収氏が緊急寄稿した!

■情弱の「自称保守」は恥を知れ!

 朝日新聞の歴史的スクープにより、一連の安倍晋三事件の一端が明らかになってきた。これはロッキード事件やリクルート事件といった過去の疑獄と比較できるものではない。悪党が不正によりカネを懐に入れたところでタカが知れている。しかし、公文書の改竄が絡んでくると、国家の信用の問題になる。今回は「日本は公文書を改竄する国である」ということが国際社会にバレてしまったのだ。そんな国の政権が北朝鮮の独裁体制や不正の横行を非難しようが、説得力の欠片もない。

 この衝撃は大きい。これをもって「日本は終わった」と嘆く人は多いのかもしれない。

 しかし、以前から私が指摘していたように、日本はすでに終わっていたのである。特に第二次安倍政権になってからは、近代国家としての建前すら放り投げ、下品のどん底に突き進んでいった。今回上梓した『問題は右でも左でもなく下である』(KKベストセラーズ)では、そのあたりの経緯を明らかにした。

 本書では戦後政治の病を振り返ったが、その中から直近の事例を二つ挙げよう。

 後世の人間が歴史を振り返ったとき、日本が最後の一線を突破した指標として挙げると思われるのが、2015年の安保法制騒動と「大阪都構想」事件である。

 安保法制問題の根本は、そもそも集団的自衛権を現行憲法の枠内で通せるか否かだった。集団的自衛権とは、「ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う権利」である。普通に憲法を読めば通せないことは自明だ。ほとんどの憲法学者が「違憲」と明言し、集団的自衛権の行使は「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない」と指摘したのも当然だった。

 仮に憲法との整合性の問題がクリアできたとしても、集団的自衛権の行使がわが国の国益につながるかどうかはまた別の問題だ。国益につながるなら、議論を継続し、正当な手続きを経た上で、法案を通せばいいだけの話。

 ところが安倍は、お仲間を集めて有識者懇談会をつくり、そこで集団的自衛権を行使できるようにお膳立てをしてもらってから閣議決定し、「憲法解釈の基本的論理は全く変わっていない」「アメリカの戦争に巻き込まれることは絶対にない」「自衛隊のリスクが下がる」などとデマを流し、法制局長官の首をすげ替え、アメリカで勝手に約束してきて、最後に国会に諮り、強行採決した。
 要するに安倍政権は国を運営する手続きを歪めたのである。

 当時、産経新聞はこう書いていた。

《憲法改正による集団的自衛権の行使容認には、さらに膨大な時間がかかる。その間も日本を取り巻く安全保障環境が悪化していくことは容易に想像できる。憲法解釈の見直しによる行使容認は次善の策には違いないが、急ぐ必要があるのだから仕方ない》(2014年3月23日)

 急ぐ必要があればなんでもできるなら、法治国家ですらない。これは人民国家の発想だ。界隈のバカ連中も、「集団的自衛権は国連憲章で認められているじゃないか」とか「そもそも日米安保は集団的自衛権だ」とか「砂川事件の最高裁判決が」とか「これまでも政府は憲法解釈をしてきたのになぜ今回だけダメなのか」とか「尖閣諸島が危ない」とか「それなら自衛隊だって違憲だろ」とか頓珍漢なことを言って騒いでいた。

 仕舞いには首相補佐官の礒崎陽輔が、「法的安定性は関係ない」と言い出した。

 この発言で明らかになったのは、セーフティーネットで管理しながらも、建前では近代国家の体裁を整えてきたものを、かなぐり捨ててしまったということだ。建前と本音の境界を外せば、もうなんでもありだ。

 実際安倍は「日本の存立が脅かされ、国民の生命や権利が根底から覆される明白な危険」が「ない」と判断できない場合に、集団的自衛権の行使に踏み切る可能性に言及している。明白な危険が「ある」場合、つまり「存立危機事態」に武力行使できるという話をひっくり返してしまっている。「ない」ことなど判断できないので、やりたい放題やるということだ。

 要するに、この時点でわが国は終わっていたのだ。

 

■政治家のウソが野放しになる時代

 都構想事件は、確信犯的に嘘をつく連中が政治を汚染するようになったことを示している。維新の会は組織的に嘘、デマ、プロパガンダを大量に流し、白昼堂々政令指定都市である大阪市の解体を狙った。

 まず、「都構想」という名称自体が嘘だった。多くのメディアが「大阪都構想への賛否を問う住民投票 」などとミスリードしていたが、住民投票で賛成票が反対票を上回っても、「大阪都」になることはなかった。「二重行政の解消のために都構想を実現する」という話は住民投票とは関係ない。

 住民投票が通れば、大阪市は解体され、五つの特別区に分割されることになっていた。当然、大阪市民は自治を失う。その財源や権限の多くは維新により流用されることになっていた。また、「特別区設置協定書」に記載されていない事項の多くは、市長により決定される。つまりは白紙委任だ。

 二重行政の解消でカネが出てくるという話も嘘だった。維新の会は、当初、年間4000億円の財源を生み出すのは「最低ライン」と言っていた。ところが、大阪府と大阪市が試算した結果は976億円。さらにその数字も橋下の指示による粉飾だった。最終的に大阪市議会が出した「効果」はわずか1億円。制度移行のための初期投資680億円、年間コスト15億円を引けば、明らかにマイナスだ。

 にもかかわらず、橋下は大阪市のタウンミーティングなどで、二重行政の解消による財政効果は「無限」と言い出した。

 テレビCMでは「教育費を5倍にした」とデマを流し(実際には108億4700万円も教育予算を削っている)、住民投票前になると「都構想の住民投票は一回しかやらない」「賛成多数にならなかった場合には都構想を断念する」と断言したが、否決後3ヶ月もしないうちに、再び「都構想」をやると言い出した。

 細工を加えた詐欺パネルも使い放題だった。問題は、市民団体や学者により数値やグラフのごまかしを指摘された後も使い続けたことだ。

 ここが大きな特徴だ。嘘を指摘されても、嘘をつき続けることで、世の中を欺こうとする。

 橋下徹は著書で「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」「正直に自分の過ちを認めたところで何のプラスにもならない」と述べている人物である。要するに確信犯だ。

 ご存じのように、橋下維新は官邸とべったりつながっていた。大阪市を守るために立ち上がった自民党の同志の背中に卑劣にも矢を放ち、妨害を続けたのが安倍一味だった。この事実もまた、わが国が腐敗の最終段階に入ったことを示している。

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