纒向(まきむく)遺跡の中にある箸墓(はしはか)古墳は、最も初期の前方後円墳で、当時最大の古墳だったといわれている。果たして箸墓古墳は卑弥呼の墓なのか?出土品や最新の測定法から、その謎に迫る。
箸墓古墳


「日は人作り、夜は神作る」とされる
古墳時代前期の前方後円墳

 720年に編纂された『日本書紀』の崇神(すじん)天皇10年9月に「陰(ほと)を撞(つ)いて亡くなった倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)を『大市』に葬り、ときの人はその墓を箸墓と名付けた」と記載されている。この「大市」に造られた墓が箸墓古墳と考えられている。なお、この日本書紀の「箸墓」が箸墓古墳であることについては、日本書紀の天武紀即位前紀にみられる壬申(じんしん)の乱の上ツ道箸陵(かみつみちはしりょう)の戦いの記載などから明らかである。

 『日本書紀』はこの古墳について、「是人者、日也人作、夜也神作」と伝えている。つまり、「この墓は、昼は人が造り、夜は神が造った」と伝えているのである。話の真偽は別にしても、墳形や規模などをみても弥生時代に造られた墓と一線を画すものであった。

 箸墓古墳は奈良県桜井市大字箸中に所在する前方部を西に向けた古墳時代前期の前方後円墳で、箸中山古墳とも呼ばれている。三輪山の大物主の神に仕える巫女であり、妻であったと伝えられる倭迹迹日百襲姫命の「箸墓」の伝承をもち、現在、宮内庁により「倭迹迹日百襲姫命大市墓」に比定されている。
奈良盆地の東南部、三輪山の山麓裾部に近い平地で、巻向川の右岸に立地している。全長約280m、後円部径155m、高さ29・4m、前方部幅125m、高さ16mを測る。奈良県内では第3位、全国でも第11位の規模を誇る。同時期においては日本最大の古墳である。段築は後円部に5段、前方部では前面のみ4段で、側面には最下段のみ段築を認められる。前方部の平面形態はいわゆる三味線の撥(ばち)のような形を呈している。前方部北側に基壇状のテラスがあり、築造当時、盆地側からはなお一層壮大に見えたと思われる。墳丘(ふんきゅう)全面は葺石に覆われていたようである。周濠(しゅうごう)はこれまでの調査により古墳の形に沿って確認されている。


《果たして卑弥呼の墓なのか?箸墓古墳の謎 第2回へつづく》