芸術家たちが好んだ宿は数あれど、自らの作品を残すほど愛した宿には、芸術家たちを惹きつける何かがあったのだろう。厳選した宿に残る作品と虜になった芸術家たちとの関係を紐解くコラム、第2回。
北大路魯山人の芸術家としての才能を開花させ、作陶の原点となった山代温泉。目利きある旦那衆と夜な夜な盃を交わし、美意識と感性を育んだ。

刺激された創作意欲、初期の作品が残る宿

 広々とした玄関先、まず目につくのが大きな八咫烏(やたがらす)の衝立だ。「北大路魯山人が酔った勢いで書いたと言われているんですよ」と女将・永井朝子さんが教えてくれた。
 石川県南西部に位置する山代温泉。源泉に最も近い老舗宿「あらや滔々庵」。篆刻(てんこく)から書画、陶芸など幅広い分野で制作活動を行い、美食家としても名を馳せた北大路魯山人が若き頃に逗留した。この地には僧侶の行基による開湯伝説がある。725年に行基が傷口を湧水で癒す一羽の八咫烏を見つけ、その湧水を調べてみたら温泉であったという。宴会中にその言い伝えを聞いた魯山人は、一気に筆を動かし八咫烏を描いた。筆を置いたときは明け方だったのか、その背景には曙の太陽が薄く描かれている。
 この時、32歳。福田大観と名乗り、まだ無名の芸術家だった。独学で書と篆刻を学び、看板彫りで生計を立てていたが、その腕前にほれ込んだ漢学者の細野燕台に連れられ山代温泉へ。九谷焼の名工・初代須田菁華(すだせいか)と出逢い、初めて陶土に触れ、手ほどきを受けた。趣味人だった当時のあらや主人・15代源右衛門とも親しく交わり、「あらや」と彫られた濡額(刻字看板)や初の陶芸作品である赤絵皿などを残す。“静けさを愉しむ”という意味の落款「樂閒」も代々宿に留まる作品。静かな空間を大事にするあらやの趣をよく表している。
「山代温泉に1年ほどの滞在中、当時の主人が若き魯山人をもてなし、お世話になったお礼にと作品を残しています。ここで旦那衆と飲み交わし、書や美術について語らいながら楽しい時間を過ごしていたようです。若き感性も大いに刺激されたことでしょう」。
 好んで泊まっていたという「御陣の間」は、加賀大聖寺藩の藩主・前田利治公の入湯の宿を務めた証でもある鮮やかな紅殻塗りの朱壁。その華やかさに目を奪われるものの、次第に明るく暖かく感じられ、不思議と落ち着いてくる部屋だ。

 
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