NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデルとして生まれた〈AIR JORDAN〉。誕生から30年を超え、その背景や物語を知らずにファッションアイテムの一つとして楽しむ世代も増えてきた。そんな「マイケル・ジョーダンを知らない世代」のためのエアジョーダン基礎講座として、今なお続くナンバリングを順に振り返りながら、歴史を紐解いていきたい。

第12回は、1996年発売の「AIR JORDAN 12」。
このモデルでAJはナイキから独立。新たにブランド「ジョーダン」のトップモデルとしてリリースされることになった。放射状に伸びるステッチと左右非対称の補強パーツで構成されるアッパーは、シンプルだが強い個性を主張。ソールにはズームエアーを初搭載する。

 

ナイキから独立した最初のAJ
ブルズのNBA2連覇に貢献する

写真を拡大 MJ自身が実践用としてかなり気に入っていたAJ12。だが街履きには硬すぎると不評で、この頃からストリートでリアルバッシュが履けなくなったという論もある。

初来日したMJが、いち早くファンにお披露目

 AJ11がスニーカーブームの立役者となったこともあって、当時は誰もが次のAJがどんなモデルになるのか知りたがっていた。そして、さまざまな雑誌にそのニューモデルのスクープ画像が載ったが、それは前作とはまったくイメージの異なるものだったーー。

 ちなみに、AJ12は市販を前にMJによってお披露目されている。MJは’96年の秋に初来日し、横浜でエキシビションマッチを行っているが、その際に履いていたのがAJ12だったのだ。それまでのAJは「ナイキ」ブランドのせいひんとして発売されていたが、このAJ12はブランド「ジョーダン」を新たに立ち上げ、そこからリリースすることがアナウンスされた。また、ナイキジャパンが「ナイキショップ」を日本全国に展開したのも、これと同じ時期だ。

 

 ファーストカラーの白×黒は、前年から続いていたスニーカーブームの余韻もあって、発売後すぐに売り切れとなるショップが多かった。しかし、セカンドカラーが発売される頃になると、ブームはすっかり沈静化。そのあおりを食ってAJもあまり売れなくなってしまう。そういった意味では、このAJ12はややブームの割を食ってしまったモデルと言えるのかも知れない。