イラスト/フォトライブラリー
江戸の性事情』(ベスト新書)が好評を博す、永井義男氏による寄稿。

 安政四年(1857)五月二十六日、吉原の遊女花岡は北町奉行所に呼び出され、奉行の跡部甲斐守から、 
「遊女の身にて母へ孝養を尽し、きょうだい共へ慈愛を加うる段、奇特」
 として、銀三枚を褒美としてあたえられた。
『きゝのまにまに』によると、花岡が町奉行所から褒賞されたいきさつは、つぎの通りである。

 花岡の本名は安といい、もとは武家の娘だった。
 微禄の武士だった夫が病死したあと、跡継ぎである息子が出奔してしまったため、後家となった蕗は、安ともうひとりの娘を連れ、駒込世尊院門前に住む林蔵という男と再婚した。
 ところが林蔵も病の床に伏してしまい、生活が成り立たないのを見かね、安はみずから吉原の玉屋という妓楼に身売りし、身売りの金十八両を母の蕗に渡した。
 家族は当面の苦境を乗り切ったが、林蔵が病死してしまい、その後は蕗が賃仕事をして生計を立てた。

 ところが、安政二年十月二日の大地震で家がつぶれてしまい、駒込の長屋に引っ越した。
 さらに、安政三年十月の暴風雨で長屋がつぶれてしまい、一家は菰張りの小屋を建ててかろうじて露命をつないだ。
 母と妹の難渋を知り、安は客人から祝儀としてもらった金の内から毎月、二分あるいは三分と仕送りをした。
 その親孝行が評判となり、ついに町奉行所の耳にはいったのである。

 美談には違いないであろう。
 しかし、考えてみると、町奉行は遊女を親孝行として顕彰しながらも、事実上の人身売買である身売りにはまったく疑問をいだいていない。
 要するに、人身売買を認めていたことになろう。