江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■二階で小便は自慢

 江戸の男が「ゆんべは、二階で小便してきたぜ」と言う場合、それは「昨夜、吉原で遊んできた」という自慢だった。同じ女郎買いでも、格安の岡場所や宿場ではなく、高級な吉原というわけだ。
 その背景には、次のような事情があった。

 当時、木造建築物の二階に便所を設置するのは難しかった。これは大工の技量が低かったからではない。理由は、塩ビや金属製のパイプなどの素材がなかったからである。木造建築の技術は高度に発達していたが、素材がないのでは名工も腕の振るいようがなかった。
 そのため、吉原の妓楼はみな豪壮な二階建てだったが、便所は一階にしかなかったのである。

写真を拡大 図1『市川三升円』(岸田杜芳著、天明2年)国会図書館蔵

 遊女の部屋はすべて二階にあり、客を迎えるのも、床入りするのも二階である。だが、用便のときは長い廊下を歩き、階段をおり、一階の便所まで行かねばならなかった。なまじ妓楼は建物が大きいだけに、こと用便に関するかぎり不便きわまりなかった。
 とくに遊女は、客の男と情交したあと、必ず便所で放尿し、さらに風呂場で盥の湯を用いて陰部を洗った。現代でいえば、ビデで洗浄するようなものであろう。
 ただし、風呂場はもちろん一階にある。遊女は連続して数人の客の相手をすることがあるが、そのたびに二階の寝床から出て、一階の便所と風呂場に行かねばならなかった。

 
次のページ 二階に設けられた「丸見え」の小便所