満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■残っているのは、「蔣介石からのメッセージ」だけ?

 一九四一年の段階でもアメリカの世論は日米戦争を望んでいませんでした。
こうした世論と米軍幹部の意向を踏まえ、なんとしても日米戦争を回避しようとハル国務長官は、ハル・ノートを日本側に手渡す直前まで、極めて穏当な暫定協定構想を進めようとしていました。

 十一月二十五日の段階でもまだそうだったのです。

 ところが翌二十六日に突然、暫定協定案を放棄して来栖大使と野村大使にハル・ノートを提示しています。

 十一月二十六日(現地時間)のハル・ノートの手交によって日米交渉は事実上決裂し、その十二日後、日本は真珠湾を攻撃し、日米は戦争状態に陥りました。

 二十五日から二十六日の間に、いったい何があったのでしょうか。

スターリンの秘密工作員

 エヴァンズらの『スターリンの秘密工作員』(前掲)によると、アメリカ政府の方針転換の背景に、ホワイトハウスのラフリン・カリー大統領補佐官と、重慶の中国国民党政府に顧問として派遣されていたオーウェン・ラティモアとが連携して実行したある秘密工作があったのです。

 カリーはカナダ生まれで、英国のロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで経済学を学び、さらにハーバード大学で博士号を取った秀才です。

 一九三四年にアメリカ国籍を取って財務省への政策提言を行い、連邦準備制度理事会で働き、その後ルーズヴェルト大統領の補佐官となりました。戦後は世界銀行にも関わっています。ハリー・デクスター・ホワイトと同様、カリーもきらびやかな学歴と職歴を持つエリートですが、ソ連の工作員だったことが複数の関係者の証言やヴェノナ文書によって明らかになっています。

大統領補佐官でありながらソ連のスパイであったラフリン・カリー(1939年7月)

 カリー大統領補佐官は、暫定協定案に対して、「日本とのいかなる合意も、我々がこれまで中国で築いてきた善意を回復不能に傷つけるものだ」と大統領に進言しました。カリーの見解では、「蔣介石に対する合衆国の忠義は日本とのあらゆる妥協を排除するものであり、従って暫定協定案は破棄すべきだ」というのです。

 そして十一月二十五日、重慶に駐在している蔣介石顧問のオーウェン・ラティモアからカリー宛にこのような公電が届きました。原文は『スターリンの秘密工作員』(p.95)、翻訳は長尾龍一『アメリカ知識人と極東』(東京大学出版会、一九八五年、三三~三四頁)から引用します。

どうか早急に(蔣介石)総統の極めて強い反対を大統領にお伝え下さい。総統がこんなに興奮したのを、私は見たことがありません。
(ハル国務長官が作成した暫定協定構想案で示された日本に対する)経済制裁の緩和とか資産凍結の解除とかは、中日戦争の日本を軍事的に助けるもので、甚だ危険な措置です。……
米国がここで日本と暫定協定を結ぶなら、中国人はアメリカへの信頼を失うでしょう。……日本が外交上の勝利によって軍事的敗北を免れるようなことがあれば、さしもの総統も状況を掌握できなくなるでしょう。 (『スターリンの秘密工作員』p.95,「……」は原文のまま、( )内は引用者の補足
 
次のページ 「日米開戦への道が決されたのだ」