満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■日本はまともな歴史研究を放棄してきた

『スターリンの秘密工作員』は、日米開戦を巡る工作について、次のように結論しています。

これは明らかに、アジア情勢に影響を与えるよう、巧みに展開された広範囲に及ぶ工作であった。これらの工作は、このあとに続く戦いにおいても、多くの重要な成功を遂げることになる。(同、p.98)

 アメリカの歴史学者たちが提示した、このような数々の事実を前にすると、東京裁判史観とはいったいなんなのかと思わずにいられません。

 日米開戦一つとっても、国際的な背後関係と動きがこれだけあるのですから。

 ところが、こうしたアメリカの歴史研究を無視、あるいは軽視しているのがわが国なのです。

 代表的な例を一つ挙げましょう。

2015年8月14日戦後70年談話を発表した第3次安倍晋三内閣

 安倍談話(二〇一五年八月十四日、戦後七十年を迎えるにあたって発表された安倍内閣総理大臣談話)のもとになった、二十一世紀懇談会報告書(二十世紀を振り返り二十一世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会)は、一九三〇年代から日米開戦までの流れを次のように述べています。

 
一九二九年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依存していたドイツ経済は崩壊し、ナチスや共産党が台頭した。
アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進んでいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。
そのころ、既にイタリアではムッソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチスが議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。
国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。
こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。(『二十世紀を振り返り二十一世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会報告書』三~四頁)

 英米をはじめとする世界の大勢は平和主義と民主主義だったのに、日本は軍部に引きずられて世界の正しい潮流に背を向け、日米開戦に踏み切り、無謀な戦争を行ったのだというストーリーになっています。

 ここで語られている歴史観は正しいとか間違っているとかいう以前に、視野が狭いと言わざるを得ません。アメリカや日本などに対するソ連の秘密工作とその影響といった日米開戦に至る重要な要素を一切、無視しているのですから。

 そして、こんな偏狭な見方を標準の歴史観であるかのように扱ってきた日本は、まともな歴史研究を放棄してきたと言わざるを得ません。

(『日本は誰と戦ったのか』より構成)