満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■各国の国民の意思は全く考慮されなかったヤルタ会談

 スターリンの秘密工作員たちによって日米両国を戦争に追い込む「開戦工作」が行われてきましたが、その秘密工作はその後も続き、日本の終戦にも大きな影響を与えました。

「終戦工作」は主として二段階ありました。

 第一段階は、ソ連に有利な、つまりアジア共産化をもたらす戦後国際秩序構想(いわゆるヤルタ密約)を、ルーズヴェルト大統領に呑ませる工作です。

 第二段階が、ソ連の有利な国際秩序構想を具体化するため、ソ連による対日参戦を実現する工作です。これは、主としてソ連の対日参戦が実現するまで日本を降伏させない、というものでした。

 第二次世界大戦中、イギリスのチャーチル、アメリカのルーズヴェルト、ソ連のスターリンは、戦争勝利後の世界秩序をどうするのか、ということについて二回にわたって会談を行っています。

 一九四三年十一月のテヘラン会談と、一九四五年二月のヤルタ会談です。この二つの会談はその後の世界を決めた極めて重要なものでした。

 当時の日本の指導者はいかにして戦争に勝つのかを懸命に考え、奮闘していたのですが、敵国のアメリカ、イギリス、ソ連の指導者は、戦争に勝ったあとのことについて考え、熾烈【しれつ】な駆け引きを繰り広げていたのです。
もちろん日本政府も一九四三年十一月にアジア各国の指導者を集めて大東亜会議を開催するなど、「戦闘」終了後のアジア秩序のことを懸命に考え、手を打っていましたが、残念ながら孤軍奮闘状態でした。