満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■信じがたいスターリンに関するルーズベルト発言の数々

ベルリンのウンター・デン・リンデンに掲示されたスターリンの肖像。1945年7月3日

 実に奇怪なことに、ルーズヴェルト大統領は、スターリンを信頼できる善人と思い込んでいました。『スターリンの秘密工作員』(pp.20-21)は、ルーズヴェルトの信じがたい発言の数々を挙げています。

 第二次世界大戦初期、初代駐モスクワ大使のウィリアム・ブリットが、「ソ連がなかなか言うことを聞かないので武器貸与法による対ソ支援を交渉材料にしたらどうか」と言ったところ、ルーズヴェルト大統領は、「これは私の勘だが、スターリンは自国の安全を求めているだけだ。もし彼が求めるものをできる限りすべて与え、代わりに何も求めなければ、彼はノブレス・オブリージュ(権力や社会的地位を持つ者の義務)として、どこの国も併合しようとせず、世界の民主主義と平和のために働くだろう」と答えています。

 ソ連の実態やスターリンの実像を知っているブリット大使が「それは違う」と説得しても、ルーズヴェルトは受け入れませんでした。

 ヤルタ会談の最中には、イギリスのアラン・ブルック元帥【げんすい】に対して「私が確信していることが一つあります。スターリンは帝国主義者ではないということです」と言っています。

 また、ヤルタ会談後の閣議では、スターリンは若い頃、神学校に通っていたので「キリスト教徒の紳士がするべき振る舞いというものが、彼の本性に入っている」と述べています。

 スターリンが若い頃神学校に通っていたというのは事実で、グルジアというロシア帝国の辺境の地で貧しい農奴の子として生まれながら、母親が身を粉にして働いて教会学校に通わせたと伝えられています。教会学校卒業後には聖職者になるための神学校に進み、成績は優秀でした。

 しかし、スターリンの実像は、ナチス・ドイツのヒトラーと同類の殺人鬼です。

 スターリンが実権を握ってからの大きな殺戮だけでも、一九三二年から一九三三年の大飢饉【だいききん】、一九三六年から一九三八年をピークとする大粛清があります。

 また、政権幹部やスターリンの側近もスターリンの偏執的な猜疑心を免れることはありませんでした。『共産主義黒書 ソ連篇』はフルシチョフの秘密報告に基づき、「スターリンの腹心の政治局の五人のメンバー、一三九人の中央委員のうち九十八人、第十七回党大会(一九三四年)の一九六八人の代議員中一一〇八人が粛清された」と述べています。誰一人として頭を高くして眠れない恐怖政治です。

 ところが、ルーズヴェルトはスターリンの人間像を完全に思い違いしていただけでなく、なぜか、自分はスターリンに好意を持たれていると信じ込んでいました。チャーチルにこのような手紙を送っていたほどです(引用者の私訳)。

「率直にこう申し上げてもお気を悪くしないでいただきたいのですが、貴国の外務省や我が国の国務省より私のほうが個人的にスターリンをうまく扱えます。スターリンは英国人の根性が大嫌いです。私のほうが好きだとスターリンは思っているし、そう思い続けてくれることを私は望んでいます」 (『スターリンの秘密工作員』p.23)