満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■今も行われている宣伝工作の手法

 第二次世界大戦初期、初代駐モスクワ大使のウィリアム・ブリットが、「ソ連がなかなか言うことを聞かないので武器貸与法による対ソ支援を交渉材料にしたらどうか」と言ったところ、ルーズヴェルト大統領は、「これは私の勘だが、スターリンは自国の安全を求めているだけだ。もし彼が求めるものをできる限りすべて与え、代わりに何も求めなければ、彼はノブレス・オブリージュ(権力や社会的地位を持つ者の義務)として、どこの国も併合しようとせず、世界の民主主義と平和のために働くだろう」と答えています。

 

 ソ連の実態やスターリンの実像を知っているブリット大使が「それは違う」と説得しても、ルーズヴェルトは受け入れませんでした。

ジョージ・フロスト・ケナン

 ブリット大使とともにモスクワに赴任していたアメリカの外交官で、のちにソ連封じ込め政策でアメリカの冷戦政策の基本的枠組みを作ることになるジョージ・ケナンは、『レーニン、スターリンと西方世界』(邦訳は未来社、一九七〇年、二四五頁)で次のように述べています。

 ローズベルトが、スターリンはやや気難しいところもある交渉相手だが、結局は他の人々となんら変わるところのない人物にすぎないと、明らかに確信していたことに注目したい。
 ローズベルトによれば、アメリカが過去においてスターリンとうまくやっていけなかったのは、スターリンにたいするに然るべき個性と、然るべき共感や想像力を備えた人物が、これまでアメリカに現れなかったためである。
 またそれは、スターリンが欧州首都の傲慢な保守主義者たちに終始冷淡にあしらわれてきたためでもあるし、いうなれば、もしスターリンが誰か──例えばローズベルト──のような、誰をしも心服させないではおかない魅力の持ち主に接しさえすれば、イデオロギー上の先入観はとけて、西側世界とソ連との協力体制は簡単に整えられるであろう。
 このような仮定には、なんらの根拠もなかった。それは、ローズベルトほどの力量を持つ政治家にふさわしくない、幼稚な考え方であった。
現在のロシアの指導者ウラジーミル・プーチン大統領

 こうしたイメージ操作は今も続いていて、たとえば、ロシアびいきの学者や外交官たちが、安倍首相の素晴らしさを讃え、同時にプーチン大統領は安倍首相を尊敬しているかのようなイメージを振りまいています。

 ジョージ・ケナンの指摘は、言葉を少し入れ替えるだけで、現在の日ロ交渉を推進する有識者の発言として立派に通用します。

《【日本】が過去において【プーチン】とうまくやっていけなかったのは、【プーチン】にたいするにしかるべき個性と、しかるべき共感や想像力を備えた人物が、これまで【日本】に現れなかったためである。
またそれは、【プーチン】が欧州首都の傲慢な保守主義者たちに終始冷淡にあしらわれてきたためでもあるし、いうなれば、もし【プーチン】が誰か──たとえば【安倍首相】──のような、誰をしも心服させないではおかない魅力の持ち主に接しさえすれば、イデオロギー上の先入観はとけて、【日本】と【ロシア】との協力体制は簡単に整えられるであろう。》

 ソ連、そしてロシアのこうした宣伝工作の手法を理解しておくことがインテリジェンスというものなのです。日本の歴史学者たちが、こうした宣伝工作を含むインテリジェンス研究を嫌うのは、日本を外交下手のままにしておきたいからではないかとさえ思ってしまいます。

(『日本は誰と戦ったのか』より構成)