満洲事変、シナ事変と中国大陸を巡って日米両国が対立し、ついに日米戦争に発展してしまった――。こういった歴史観には致命的な欠陥がある。日米開戦を引き金を引いたのはソ連だ。 江崎道朗氏が著書『日本は誰と戦ったのか』の中で展開するインテリジェンスヒストリー。

■大統領としての重要な決定はルーズヴェルトではない「誰か」が行っていた

 
ヤルタ会談でのルーズベルト(中央)。すでに判断能力を失っていた

 自信過剰で相手のことを侮る性格だけでも問題ですが、ルーズヴェルトは任期中にポリオの後遺症とは別に、重篤な病気を発症していました。

『スターリンの秘密工作員』は、『ルーズべルトの死の秘密』(スティーヴン・ロマゾウ、エリック・フェットマン、邦訳は草思社、二〇一五年)や関係者の回顧録・証言に基づいて、ヤルタ会談の時点ではルーズヴェルトが職務遂行能力を失っていたことを描き出しています。

 健康の悪化が明確に職務に影響し始めたのは、一九四三年十一月二十八日のテヘラン会談でのことでした。

 スターリンとチャーチルを招いたルーズヴェルト主催の夕食会で、ルーズヴェルトは突然顔面蒼白になり、額から大粒の汗を吹き出して、宿舎の部屋に運ばれています。公式の説明は「消化不良」でした。

 一九四四年三月、ホワイトハウスに呼び出された『ニューヨーク・タイムズ』紙のターナー・キャトリッジ記者の回顧録を、『ルーズベルトの死の秘密』は次のように引用しています。

 大統領の目はどんよりと曇っていて、口は半開きだった。突然、口が開いたまま話が中断した。そして彼はそのまま私を凝視していたのである。(およそ一時間の会話だったが)脈絡のない話が続き、そしてそれが突然やんで、大統領は私をぼんやりと見つめた。(同、二三〇~二三一頁)

 ヤルタ会談の十一ヶ月前から、すでにこういう状態だったのです。

『スターリンの秘密工作員』によると、その後もルーズヴェルトの病状は日に日に悪化し、キャトリッジ記者が目撃した、目は虚ろ、口を半開きにして意識を失っているような状態が日常的によく起きるようになりました。体重も急激に落ちていきました。

 一九四五年二月のヤルタ会談では明らかに病人で、職務遂行能力を失っていました。

 英国外務次官アレクサンダー・カドガンは、ルーズヴェルト大統領について「会議を主宰するよう呼ばれても掌握も先導もできず、ずっと黙っていた。口を開けば的外れなことを言った」と述べ、また、アメリカ国務省のジェームズ・バーンズは「大統領は会議の準備をほとんどしていなかった」と述べています。

『スターリンの秘密工作員』(pp.33-37)が取り上げている以下のような例を見ると、精神状態や判断力も相当に危うくなっていたことがうかがえます。
まず、テヘラン会談でスターリンが、終戦と同時に五万人のドイツ人を射殺することを主張したときのことです。イギリスのチャーチル首相が国際法違反だとしてスターリンに反対すると、ルーズヴェルトは「妥協案として四万九千五百人ではどうか」と発言しています。

 
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