謎本ブーム
~平成3年(1991)頃〜 ~

 

 昭和の真っ只中、学生運動の華やかなりし頃、当時の学生を評して「右手にジャーナル、左手にマガジン」という名フレーズがあった。ジャーナルは平成4年に廃刊になった朝日新聞社発行の週刊誌、「朝日ジャーナル」のこと。
 そしてマガジンと呼ばれたのは当時名作マンガ『あしたのジョー』が若者から強く共感されていた講談社の漫画雑誌「週刊少年マガジン」。高校進学者ですら5割に満たず、大学へ進学できる経済的ゆとりのある者など3割程度の時代、大学生は正真正銘のエリートだった。そんなエリートをして既にマンガが手放せなかったことがわかる。もっとも市井の印象は別でやはりいい大人にマンガは不釣り合い。マンガを持ち歩く成人は揶揄の対象ですらあった。
 今となってはそんな風潮は過去のもの。なにせ教科書ですら萌系のイラストでいっぱい、国家が率先してマンガを重点輸出品とするというご時世、何がクールかわからないが、クールジャパンなのである。

 ではそんな風に流れが変わったのはいつからか。ひとつのきっかけとなったのが平成初頭に出版界を席巻した謎本ブームだろう。平成3年『ウルトラマン研究所説』なる本が30万部を突破し話題になる。それまでいつかは卒業するものだった怪獣モノを、定番化した古典やノンフィクションのように論じたこの一冊は、世間の前では猫をかぶっていたオタクたちの心に火をつけた。翌年には人気野球漫画『ドカベン』を始めとする名作マンガの多くをコマ単位でデータ分析した、豊福きこうの『水原勇気0勝3敗11S』(のちに『水原勇気1勝3敗12S』と改題)もヒット。
 さらに同じ年に東京サザエさん学会なる謎の集団名で上梓された『磯野家の謎 ー「サザエさん」に隠された69の驚き』はなんとダブルミリオンを突破。インターネットが普及してなかったこの時代に出版業界に発表の場を見つけたシャーロキアンならぬマンガ・ドラマ研究家たちは堰を切ったように各々の思い入れのあった作品を論じ発表する。先行本の大成功に触発され商機を見出した出版社がこの空気を見逃すはずもない。かくしてありとあらゆる作品の謎本が次々に出版され、人気作については異なる執筆者や版元から複数冊の謎本が上梓され、シリーズ化するものも少なくなかった。

 だがやがてネタが尽き、覚えている読者がいるのかさえ疑われるようなマイナーな作品の謎本や、明らかに作品に愛が感じられないばかりか、完読しないで書いていることがミエミエの粗雑な謎本が乱立するようになる。ここに至って人々は熱狂から冷め、謎本ブームは終わりを告げる。
 しかしマンガを論じることを覚えた文化人はやがてそれを学問に位置づけ、サブカルチャーだったマンガは市民権を得て、メインカルチャーと遜色のない扱いを受けるようになった。