定年後のふたり生活は、老後をみすえた生活への転換期でもある。そんな場合、家族はどう接したらいいのか。清水義範著『定年後に夫婦仲良く暮らすコツ』から著者の体験を紹介する。

◆うまく老人になるには、年を取ったことを自覚する

 

 私は今七十歳。妻はなったばかりの六十九歳。それで、めっきり老け込んだなあとは思わないが、老人になりつつあるなあ、という実感はある。昔はなんでもなくできていたことが、うまくできなくなったりするのだ。そして、体にもちょっとした変化が出てくる。

 たとえば、なんにも悲しくないのに、自然と目に涙がにじんで、時にはポロリとこぼれたりするのは、老化のせいなのだろう。

 顎の下に大きなホクロがふいにできたのも、老人ぽいことだなあといやだった。幸いこれは三年後にポロリと取れたのでホッとしたのだが。

 足がよくつるのはともかく、手の指がよくつるようになったのも老化だよなあ、と私は思っている。指が自然に変な形に曲がり、気障りに痛いのだ。

 そんな状況にいる私たち夫婦は、「自分が老人になっていくことを認めて、気をつけて生きようね」と言いあっている。

 

■老いを受け入れる

 たとえば、外出しようとなると、妻は私に必ずこう言うようになった。

「おしっこをしといたほうがいいんじゃない」

 それは私が近頃、おしっこの我慢ができなくなってきているからだ。ふいに尿意に襲われると、ぐっとこらえるということがむずかしいのだ。だから外出先で、あわててデパートに入りトイレにかけこんだり、急遽喫茶店に入ったりしなければならない。

 そういう老人なんだから、外出前にはおしっこしておきなさいよ、と妻は言っているわけだ。

 たとえば、どの部屋にも必ずはさみをひとつずつ置いておく、なんてことをしている。

 それは、袋物の袋が破れないからだ。ポップコーンの袋のようなものが、どうしても手では開けられない。力を入れて引っぱっていると、それこそ指がつったりする。だからはさみで切るしかないのである。というわけで、すべての部屋にはさみということになる。

 私が妻に、

「足元に気をつけて、ゆっくりと靴をはくんだよ」

 なんて言うこともある。足元がふらついて、つんのめったりすることがあるからだ。

「ここに段差があるから注意して」

 なんてことも、互いに言いあっている。ほんのちょっとの段差なのに、老人はつまずいてころんだりすることがあるのだ。

 自分たちが老人になりつつあることを自覚して、注意しあって生きていかなければならないのだ。

「おしっこしておきなさい」

 と言われても、子供に対して言うようなことを言うなよ、と怒ってはいけない。本当にそういう注意をしてないと、いろいろとしくじる年齢になっているのだから。

 以前にくらべて、食事をしていてもポロポロとよくこぼすようになった

「食べ物をよく見て食べなさい」なんていう注意をされてしまう。

 瓶のふたを取っていて、そのふたをよく手から取り落とす。どこか手元が不如意なのである。

 そういうことは受け入れて、自分は老化しつつあるなあと承知して、注意深く生きていかなければならない。そして夫婦で、気をつけあっていく。そういう老夫婦になっていくしかないのである。

 私は自動車の運転はしないので関係ないのだが、もし免許を持っていたとしたら、七十歳になった今は免許証を返すべきだろうと思う。私がいやがっても、妻が絶対にそうしろと言うだろう。注意力なども老化と共に必ず鈍ってくるものだからである。

 老化することはしかたがない。その老化をよく自覚して、その分気を配って慎重に生きていこうというのが、うまく老人になるってことなのだと思う。

 そのほか、ふたり暮らし歴37年のベテランの著者が、料理や家事、散歩、旅行を通じて「ふたりだけ夫婦」の生活を充実させるコツを本書で紹介している。

<清水義範著『定年後に夫婦仲良く暮らすコツ』(ベスト新書・KKベストセラーズ刊)より構成>