私たちは、哲学に対して、どのようなイメーをもっているだろうか。偉人の言葉、先人の知恵、抽象的な言葉、あるいは、対話やディベートなど、様々なイメージがあるが、そこでは共通して、哲学とは過去の賢人たちが積み上げてきた知恵の体系、あるいは、様々な問題に対する解答集のようなものと見なされているのではないだろうか。
 

 哲学の知恵は、いつでもつねに正しいものであり、前もってインプットしておけば、後々アウトプットして役立てることができるはずである。様々な哲学者の考えに触れておけば、その知恵を色々な状況で活用できるだろう……。そう思うひとも少なくないのではないだろうか。

 哲学の学説を、そうした行動指針として解釈する試みは、珍しいものではない。
 ただし、言うまでもなく、どの哲学者も彼らの「現在」を生きていた。彼らは、彼ら自身の時代における問題に取り組みながら、洞察を進展させた。この点から言えば、これまでの哲学の学説を、そのまま現代に応用することは、かなり強引な試みであると言わなければならない。

 現代には、現代固有の問題がある。生命倫理、テロリズム、人工知能(AI)など、これまでの哲学ではほとんど考えられてこなかった問題が、私たちにとって次第に切実なものとなりつつある。
 哲学は、そうした問題について考えていくための、思考の原理を示している。哲学の歴史は、その原理を導き、磨き上げてきたプロセスそのものにほかならない。

 過去の哲学者たちが、それぞれの時代の問題に対し、どのように立ち向かったのか、その点を踏まえたうえで、哲学の根幹をなす思考の原理をつかみ、私たち自身の問題に取り組むための方法を洞察すること。ここに、哲学を学ぶことの重要な意味がある。
 哲学を学ぶことの本質的な意味は、決して、物知りになることではない。時間と労力をかけさえすれば、哲学者たちがどのように考え、何を主張したかについての知識を得ることはできる。だがそれは、哲学を学ぶことの最終的な目的ではない。大事なのは、何が考えられるべき本質的な問題であり、それをどのように解くべきなのかを洞察することである。

 哲学は、答えを教えるものではない。その代わりに、私たち自身の答えを作っていくための方法を示すものである。
 現代の問題については、現代に生きる私たち自身で考えなければならない。過去の哲学から、それについての答えを掘り当てることはできない。それはまだ、どこにも存在していないのだ。
 哲学は、いわば思考のリレーである。時代のうちで、より誰もが納得できる考えを導くべく試みてきた、哲学者たちの努力の軌跡である。その過程で生み出された方法を用いて、現代の問題に取り組むこと。この点に、私たちがいま哲学を学ぶことの意味がある。

 哲学は、誰もが共有できる地点から出発して、ともに洞察を深めていくための方法を、歴史のうちで導いてきた。
 歴史が教えているように、世界観や価値観の対立が、ついには戦争にまで至る事例は、数多く存在している。哲学は、そうした困難を踏まえて、対立を調停するための方法を作り出すべく、時代のうちで少しずつ思考を繰り広げてきた。その過程を確認することを通じて、私たちは、対立を乗り越え、多様性を尊重しつつ、ともに生きる可能性を導くことができるはずである。

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 哲学の第一のテーマは、善悪や美醜といった「本質」である。本書では、哲学者たちがどのように本質について論じてきたか、また、その過程でいかなる困難に直面し、その困難をどのような方法で克服してきたかについて確認することにしたい。
 哲学の歴史は、本質をめぐる議論の歴史であり、哲学の難しさは、本質を論じることの難しさと深く関わっている。本質を適切に論じる方法をつかむことができれば、哲学の意味や目的、哲学的思考の意義や可能性を深く了解することができる。そのとき私たちは、過去の哲学に頼らず、自分たちで考える力を手にしたといえるはずだ。本書が、そうした力を身につけるための一つの助けとなれば幸いである。

【目次】

序章 哲学の方法―より深く考えるために

哲学のイメージ
哲学の種類
哲学の目的
本質と信念対立
認識問題
デカルトの登場
〈正解〉から〈了解〉へ
現象学の考え方で、共通了解を
現象学的還元と本質直観
私たちの「答え」を作るための哲学

第一章 本質の哲学―「対話」という方法

哲学の始まり―タレス
イデア説
本質は「どうでもよい」もの?
魂の配慮―内面の吟味
美のイデア―恋愛における「あこがれ」

第二章 道徳と良心―自由と善をつなぐもの

根本問題。いかに自由と善を両立できるか
カント―道徳の哲学
ニーチェ―価値の哲学
ヘーゲル―自由の哲学

第三章 共通了解――言葉と可能性

ヴィトゲンシュタイン――分析哲学の創設者
言葉、可能性、共通了解