断崖に守られた城は、攻めるのは至難の技。まさしく「戦国の城」である。写真/フォトライブラリー

 その佇まいから別名「白帝城」と呼ばれる犬山城は、明治以降は個人所有の城となっていた珍しい城である。木曽川対岸から臨む絶景は、国宝の城にふさわしい姿を見せている。『歴史人』5月号では、犬山城の歴史や歴代城主、縄張り図などを解説している。

「信州の鉢盛山あたりを源流とし、伊勢湾にそそぐ木曽川の南岸、高さ90mほどの山上に建つ犬山城。その佇まいから、李白の詩に登場する「白帝城」にも喩えられる。
 犬山城の歴史は天文6年(1537)、織田信長の叔父・織田信康によって築かれたことに始まる。美濃と尾張の国境に位置していたことから、信長が美濃攻略の拠点とするため、乳兄弟の池田恒興に統治させた。また小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉が入城するなど重要な拠点であった。城主は目まぐるしく替わったが、「関ヶ原の戦い」後に城主となった小笠原吉次のころから大改修が施され徐々に近世城郭へと発展した。

 江戸時代のはじめ、元和3年(1617)に徳川御三家のひとつ、尾張藩の付家老となった成瀬正成が犬山城を治めることになり、以後は成瀬氏9代が明治まで居城とした。
 明治時代に天守を残して取り壊され、天守のみが現存する犬山城。地味ではあるが、木曽川の対岸からの遠景および天守最上階から見下ろす木曽川、御嶽山、岐阜城などの風景は必見といえる。また天守最上階の床には、オランダ商館長と親しかった7代当主が敷いた赤い絨毯が再現され、独特の風格がある」(文/上永哲矢・監修/小和田泰経)

 現在は、犬山城白帝文庫に所有権が移管されている。 

『歴史人』2018年5月号「現存十二天守特製ガイドブック」より〉