日本人が日常的に用いる元号だが、海外の人にとっては摩訶不思議な制度である。明治以降は天皇一代につき一元号と定められたが、古来にはさまざまな理由で改元が行われていた。今も謎のベールに包まれている改元の過程など、元号をめぐる歴史秘話をひもとく。

◆独立の気概を内外に示す、日本独自の元号制定

 日本で最初に用いられた元号は「大化」である。その初出は『日本書紀』の第36代孝徳天皇の巻。「皇極天皇4年(645)を改めて大化元年とする」という内容が記されている。
 そもそも元号とは紀年法のひとつで、皇帝や王が即位した際や、天変地異などの要因により変更(改元)される有限のものだ。その起源は中国の前漢時代、紀元前115年頃まで遡る。武帝(ぶてい)による統治初年に遡り「建元」という元号が創始され、清(しん)が滅亡するまで中国ではさまざまな元号が用いられた。冊封(さくほう)体制に組み込まれた国々は、中国と同じ元号を使っていたのだ。
 大化という年号が定められた時、大陸には唐という強大な国家が周辺諸国を席巻。朝鮮半島にあった新羅(しらぎ)も、その圧力の前に屈服している。そのような状況の下、あえて日本独自の公的年号を創建したのは、独立の意気を示そうとしたと考えられる。

天武・持統天皇陵(写真/フォトライブラリー)

 孝徳天皇は大化に続いて白雉(はくち)と改元するが、両方を合わせても10年に満たない。白雉5年(654)に孝徳天皇が崩御してから32年間、元号は定められなかった。686年、天武天皇が朱鳥(しゅちょう)に改元するが、わずか2カ月後に崩御。再び元号が定められずに15年が経過する。
 この空白期間の背景について、『歴代天皇・年号事典』の編者・米田雄介さんはこう語る。
「大化以前の年号は私年号であって、公的な年号の始まりは、やはり大化からだと考えられます。年号は中国で発明され、周辺諸国に普及しました。日本でも全国を統治するには中国と同じように、元号が必要と考えたのでしょう。『日本書紀』によると、白雉や朱鳥は天皇の政治を称えるものとあります(後述)。だから孝徳天皇、天武天皇の治世が終了すると、次期天皇の代では使用されませんでした」。

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