日本の軍部独走・侵略史観に基づく悪玉扱い、逆の「日本は悪くなかった、悪いのは周りの大国だ」という日本小国史観、海外大国による外圧・陰謀史観。これらの歴史観はすべて間違いだ。『学校では教えられない 歴史講義 満洲事変 ~世界と日本の歴史を変えた二日間 』を上梓した倉山満氏が満洲事変の真実に迫る!

■世界の目はバルカン半島へ。満洲を自国の国益の最優先事項としているのは、日本だけだった。

 当時の国際状況を見てみましょう。英米がそれほど日本に対して深刻になるはずがない、ということがわかります。

 日露戦争は、露仏同盟と日英同盟の睨み合いが、日露一騎打ちとなった戦争です。露仏同盟は一八九四(明治二十七)年に、日英同盟は一九〇四(明治三十七)年に結ばれています。この二つは同じ内容で、「一騎打ちには中立を守る」「相手の同盟国が手を出してきたら加勢する」という同盟でした。露仏同盟対日英同盟がそのまま戦争になれば世界大戦になりかねません。実はドイツはこれを狙っていました。しかし英仏は、日露開戦は必至となったとたん、英仏協商を結びます。 

 こうして一騎打ちの日露戦争となり、英米が日本を応援してくれたという格好になります。戦後、日本の勝ち過ぎを牽制したり、満洲をひとりじめにするなということは、英米は確かに言っています。しかし、それで即座に日米戦争になるような気配が生じたとか、それが日米戦争の遠因になったなどという話になると、まったくそんなことはありません。

 日露戦争の後、各国の満洲への関心は薄れました。日露戦争とは国際社会にとって、アジアの勢力圏問題にはカタが付いた、という戦争だったからです。

 ヨーロッパではもはや、バルカン半島が主正面であり、外交の重要問題になっていました。露仏同盟とイギリスが結びついた結果、独・墺が強く反発してバルカン半島その他で大いに揉める、という情勢になったのです。そんな時に日本に対して、どうしてそこまで、戦争の可能性まで含もうという必要以上の牽制をする必然性があるのでしょう。

 一九〇七年は協商の年と呼ばれています。日露、日仏、英露と、次々と協商が結ばれました。イギリスとロシアの対立関係も解消して、ここに日英同盟と露仏同盟は結ばれることになったわけです。重要なのは、これで独・墺が英・仏・露に包囲されている状態となった、ということです。

エリフ・ルート(Elihu Root, 1845年~1937年)陸軍長官時代の写真

 日本とアメリカの関係を見てみましょう。日露戦争後、確かに経済的・文化的な摩擦が深刻になり、日本人移民排斥問題も起こります。しかし、そんな緊張関係の結晶として、一九〇八(明治四十一)年、高平小五郎駐米大使と米国務長官エリフ・ルートとの交渉の結果、高平・ルート協定が結ばれます。日本が日清戦争で獲得した台湾、そしてアメリカが米西戦争で獲得したフィリピンをお互いの勢力圏として確かに認め合おうという協定です。実にこれは、日米とも太平洋の大国であるということを互いに認め合ったことに他なりません。

高平小五郎(1854年~1926年)

 すると、不思議なことが起こります。日本だけが国際社会の安全地帯にいることになりました。反対にドイツはヨーロッパで完全包囲網のまっただ中です。

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