混乱する幕末京都で鉄の剣客集団新選組の勇名は、日本最古の公許遊廓・島原にも轟いていた。綺羅星のような女性たちから想いを寄せられた隊士たち。
彼らは花街にどのような足跡を残していったのか。忠義に生きた男たちの知られざる素顔に迫る。

土方が愛した美人姉妹の実態は謎に包まれている!

 元治元年(1864)5月、近藤勇は郷里の知人への手紙に「府中の妓楼での(女性との)「妄戯」が懐かしい」と認めた。上京前から艶福家でもあったらしい近藤には、当時、妻のほかに鳥山沢子という10代の愛人があり、神田三河町に囲っていたという。近藤の処刑後、沢子は仏門に入ったと明治14年刊の『近世名婦百人撰』は姿図を添えて伝えている。

 明治23年に雑誌『江戸会誌』に、そんな近藤勇の京都での艶聞が紹介された。「近藤勇の事」と題する記事に引用された元新選組隊士島田魁から取材した回想記録である。

 近藤の愛人は三本木の芸妓駒野、北野上七軒町の芸妓植野、島原木津屋抱えの金太夫らで、駒野は近藤の男児を産んだという。慶応3年以前に落籍された者もいたようで、『四方のはな』に彼女たちは照合できなかった。

 また島田は、近藤が大坂新町から深雪太夫という女性を落籍したと伝えた。絶世の美女だったが、ほどなく没し、次いで近藤は、こちらも美しい妹の孝を新町から落籍、さらなる愛人としたという。

 孝の新町での源氏名は御幸太夫といったと伝わる。万延元年の新町女性名鑑には天神の1人に御幸の名が認められる。

 既述した新聞記者鹿島桜巷が、明治期に存命していた深雪と会い、彼女の語った新選組や近藤勇の回想談とするものを自著に載せた。鹿島は新選組について確かな取材記事を何点も残しているが、紹介された深雪の回想は、彼女が近藤の愛人と伝える女性たちの名前などを島田魁の回想と全て同一にしており、創作された可能性も否めない。

 局長がこよなく愛した姉妹の実相は、深いベールに包まれたままである。