「その人と出会わなかったら……」

 

 また2週間が経った。「優勝」を目指して戦ってきたリーグ戦もいよいよ佳境を迎えた。浦和レッズは、首位の横浜Fマリノスとは勝ち点差が4に拡大。残り2試合でその勝ち点差を覆すのはとても難しい。
 でも、僕たちが目指してきた「優勝」という夢を自分で断つことはしない。可能性がある限り、信じる。やり抜く。出し尽くす。いま僕にできることはそれだけだ。

 

 前回はお母さんへの感謝の気持ちをお伝えした。今回のコラムではそのお母さんと同じくらい、僕がとても感謝してもしきれない人とのエピソードについて書きたいと思う。
 おそらくその人と出会わなかったら、いまのサッカー選手・柏木陽介はいない――。そう断言できるくらい、僕にとってまさに人生の恩師だ。
 母子家庭で育った僕にとってみたら“おやじ”のような存在といえるかもしれない。環境が人を育てる、といった言葉をよく耳にする。
 それが本当だとしたら「柏木陽介」というサッカー選手は、その人が作ってくれたということになる。 

 その人の名は、出口幸治さん。 

 お母さんが再婚したのと同時に、兵庫県神戸市から揖保郡御津町という現在の「たつの市」という土地に引っ越した先で出会った人だ。

 

「引っ越しが人生の転機に」 

 

 出口さんとの出会いはいまも鮮明に覚えている。
 夕暮れどきの放課後。小学4年生の僕は2つ離れたアニキとふたりで、転校先の御津小学校の校庭でサッカーボールを蹴って遊んでいた。そんなとき、とても優しい声で話しかけてくれたのが出口さんだった。
「キミたちは転校生?」 
 知らない土地で見知らぬ大人から声をかけられたら、ちょっと警戒してしまう。しかし、不思議なことに、なぜかすぐに打ち解けることができた。
「サッカー好きなのかい?」
 僕はアニキと目を合わせながら同時に質問に答えた。
「はい! 大好きです!」
「もし興味があったら、うちのクラブで一緒にやろうよ!」
 そして数日後。僕たち柏木兄弟は、それまで所属していた神戸のサッカー少年団をやめた。当初は御津町から通うつもりでいたのに、電車で片道1時間くらいかかるために断念。さっそく僕たちは出口さんにあらためて挨拶し、地元の「御津町少年サッカークラブ」へ入団することになった。

 

「“遊び心”を忘れない」

 

 結局、出口さんとは6年間一緒だった。
 その間、僕はサッカーの楽しさや基本、人としてどうあるべきか……といったことまで、いろんなことを学ばせてもらった。
 サッカーでは“遊び”の大切さを教わった。バスケットコートを使ってリフティングゲームをしたり、エラシコやダブルタッチといった足技を教えてくれたり、紅白戦を“3タッチゲーム”にしたり、大人のチームと対決したり……。“遊び”のなかで基本技術が身についていくメニューばかりだったから、本当に楽しかった。自分がどんどんうまくなっていくのが分かった。 

 あそこで教わったことは、まさに自分の礎となっている。
 サッカーが楽しいものだと教えてくれたからこそ、プロサッカー選手になれたと思っている。だからプロサッカー選手になったいまも“遊び心”を忘れないようにしている。

 僕は普段、出口さんのことを親しみをこめて「でぐっさん」と呼んでいる。その「でぐっさん」とのエピソードはまだまだ続く。

 

「地元の中学を選んだ理由」

 
 サッカーの“いろは”だけではない。人生においても、僕がターニングポイントを迎えるたび、いつも出口さんに助けてもらった。適切なアドバイスをいただいて、自分を正しい道へと導いてくれた。 

 たとえば小学6年生のとき。僕はヴィッセル神戸ジュニアユースから声をかけてもらった。地元・神戸に住んでいる子どもたちにとって、ヴィッセル神戸の下部組織に入ることは、プロサッカー選手への近道だと思っていた。当然、僕はそこに行くつもりだったけれど、出口さんは、地元のサッカークラブに入ることを薦めてきた。
「どうしてなんだろう?」
 僕の頭のなかはクエスチョンマークでいっぱいだった。そんな僕に、出口さんは地元でプレーするメリットについて説明してくれた。
「陽介は自由にプレーしたほうがうまくなれる。ヴィッセルにはうまい選手たちがたくさん集まってくる。お前の良さが消えてしまう」  自分のことを誰よりも考えてくれる人のアドバイスだから、僕はすんなりと受け入れることができた。

 

「お父さんのような存在」
 

 たとえば高校の進路で悩んでいたときも、真っ先に出口さんに相談した。そして、そのときも言われたとおりに進路先を決めた。
 中学3年生の夏。僕のもとに、ふたつのJクラブユースからオファーが届いた。

 ひとつは地元のヴィッセル神戸ユース、もうひとつは、サンフレッチェ広島ユースだ。
 ヴィッセルはすでに入団内定をもらっていたけれど、サンフレッチェに関しては入学テストを受けなければいけなかった。テスト当日、会場の広島県吉田町に行く際も、出口さんは時間を作ってくれて一緒についてきてくれた。
 ちなみに紅白戦形式のテストでは、僕はミドルシュートを決めてアピールに成功。あとで聞いた話によると、そのテストで森重真人(現・FC東京)、田中亜土夢(現・アルビレックス新潟)などもいたらしい。
 ヴィッセルユースか、サンフレッチェユースか。どっちに行くべきか、心が揺れるなか、僕が最後に頼りにしたのはやはり出口さんの言葉だった。
「サッカーに集中できる環境を考えたら、サンフレッチェがいいんじゃないかな」 
「はい、分かりました」

  実際、サンフレッチェユースは素晴らしい環境だった。寮もきれいだし、専用グラウンドもあって、食事も朝・昼・晩としっかり摂ることができた。僕は本当にサッカーに集中するだけで良かった。出口さんの言うとおりだった。
 そうやって、いつも出口さんは親身になって考えてくれた。
 母子家庭に育ってきた僕にとって、まさにお父さんのような存在だったのかもしれない。 そんな人が出してくれたアドバイスを、どうして反対する理由があるだろうか。  

 

「もうひとつの約束」

 

 いまも、出口さんはことあるごとにメールや電話をくれる。僕のパフォーマンスが悪いときや日本代表に落選したときには「元気か?」「大丈夫か?」と声をかけてくれたり、試合中にふてくされた態度を取ったりすると「お前はそういうことをしたらダメだ!」と注意してくれたり……。
 本当に、家族のようにいつも気遣ってくれる。

 毎年、僕はお正月になると兵庫県の実家に帰る。年明けは御津町少年サッカークラブの“初蹴り”に必ず参加し、そこで出口さんに挨拶して、少年団の子どもたちと一緒にボールを蹴っている。

 20歳を過ぎてからは、一緒にお酒を飲めるようになって、大人になった楽しみがひとつ増えた。
 前回のコラムでお母さんに誓ったように、お父さん代わりに僕のことを支えてくれた出口さんにも、いつの日か「優勝」という金メダルを首にかけてあげたい。
 ではまた2週間後! まだ、諦めないよ!


このコラムは隔週水曜日に更新されます。
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