平成27年に国宝に指定された松江城は、関ヶ原の戦いの功績により、松江の地を与えられた堀尾氏が築城した。天守内に井戸が設けられるなど、籠城を想定して構造も備えている。『歴史人』5月号では、別名「千鳥城」と呼ばれる松江城の歴史や歴代城主、縄張り図などを解説している。

松江城は天守の入り口の構造など、実戦的な防御構造が多く見られる。

「石見銀山や出雲大社と並ぶ、島根県の代表的な名所、松江城。“水の都”と謳われる城下を流れる堀川は、城の水堀の役割を果たし、シジミの産地として知られる宍道湖とつながっている。その造りは江戸時代の古図に描かれる姿とほぼ変わっていない。
 この城の築城者は関ヶ原の戦いの功績で松江を与えられ、松江藩を開いた堀尾吉晴と忠氏の親子である。当初、堀尾氏はこの地に古くからあった月山富田城に入城したが、近世城下町の構築には不向きであった。そこで、堀尾親子は慶長12年(1607)に松江の亀田山に新たな城を築き始め、慶長16年(1611)までに竣工させた。松江城を完成させた堀尾氏であったが、後継者不在のため3代で途絶え、寛永15年(1638)から松平直政(徳川家康の孫)が新しい藩主となって以後は明治維新まで松平氏が代々、守り抜いた。

 

 明治時代、天守が取り壊しの危機を迎えたが、地元の豪農が資金を調達。政府にそれを収めて買い戻し、後世に残されることになった。
 松江城は現存天守の中で唯一、天守内に井戸を備えた城でもある。上階には“箱便所”と呼ばれる遺構も残っているなど、籠城戦を想定した構造は必見といえよう」(文/上永哲矢・監修/小和田泰経)

『歴史人』2018年5月号「現存十二天守特製ガイドブック」より〉