迷宮入りとなってしまった、歴史上の数々の「事件」。その真相とは? そして犯人はいったい誰なのか? 小和田泰経氏が“歴史警察”となり、残された手がかりから真相に迫る連載「あの歴史的事件の犯人を追う! 歴史警察」。今回は「安土城放火事件」を取り上げる。

■「安土城放火事件」の背景

 天正10年(1582)6月2日、明智光秀は本能寺の変で主君の織田信長と嫡男の信忠を討ち取った。この直後、光秀は信長の居城であった近江国(滋賀県)の安土城に入り、畿内の平定を進めていくが、6月13日、山城国(京都府)で行われた山崎の戦いで秀吉に敗れ、落ち武者狩りで落命してしまう。
 このとき、安土城を守っていた明智光秀の家臣明智秀満は、山崎の戦いでの敗報を聞き、光秀の居城であった大津の坂本城で再起を図ろうとした。しかし、光秀の敗死を知ると、光秀の妻子らを殺したうえで自刃し、城に火をかけたのである。

 

 そのころ、安土城には、信長の次男信雄が接収に向かっていたが、6月15日、突如として天守が炎上してしまった。こうして、信長の栄華を象徴した安土城は、この世から消滅することになったのである。では、誰がこの安土城に火を放ったのか、安土城築城の経緯からみていくことにしよう。

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