テレビの天気予報から、花粉情報のコーナーが無くなりました。目もシバシバせずくしゃみも出ず。そう、ようやくヒノキ花粉の季節が終わったのです(笑)。筆者はスギよりヒノキに弱いらしく、なかなかに難渋しましたが苦行から解放されて意気軒昂、元気百倍。(ただし遅筆は変わらず…)

 

 それにしても、戦国のむかしは今よりも森林面積が広く、人口は少なかったわけですから、もし花粉症というものが存在していたら(いや、現代の環境が花粉症というアレルギー現象を起こすということは重々承知のうえですし、当時もそういう症状を持つ人は少ないながらもいたかもしれませんが)、今とは比較にならないほどの強烈な症状に悩まされていたかもしれません。

 今から420年前の慶長3年3月19日(現在の暦で1598年4月24日。一説に3月25日、現在の暦で4月29日とも)、豊臣秀吉の命により越後ほか70万石から会津100万石へ加増転封された上杉景勝が会津入り。
景勝から会津の黒川城(のちの若松城)到着の知らせを受けた江戸の徳川秀忠は、
「そちらの普請工事などを指示されたとのこと、当然なことであります」
と返信したが、これは景勝が秀吉から会津領内の各所の道路整備を命じられたことを指すという(『上杉年譜』)。
 もしそれが本当であれば、2年後に秀忠の父・家康が「景勝は他国に侵攻するために道路工事をしている」として会津征伐を発令したのは言いがかり以外の何ものでもない(事実、言いがかりなのだが)。

 世に「きな臭い」という言葉があるが、道路工事の一件に2年後の関ヶ原合戦につながるきな臭さを感じることは、この日の景勝や、その腹心・直江兼続には当然ながらまるっきり無かっただろう。あったとすれば、ヒノキ花粉の匂いぐらいではないか。

 会津若松市は福島県の中心都市。福島県は日本有数の森林資源量を誇り、特に檜枝岐村特産品の曲げわっぱなどで知られるようにヒノキが多いです。景勝と兼続が、ヒノキ花粉でくしゃみしながら入城するというシーンを想像するとクスリとさせますが、実際にも家康や秀忠らに噂をされてくしゃみしていたかも知れませんね