写真を拡大 図2『けいせい色三味線』(江島其碩著、元禄14年)、国会図書館蔵

 図2は、「太夫道中」とある。三味線を肩にかついだふたりは禿、そのあとに太夫。最後の前垂をした女は遣手であろう。
 図2の刊行は元禄十四年(1701)だから、吉原に太夫が存在した時代である。絵師は実際に太夫を見たことがあった。つまり、想像だけで描いたのではない。それにしても、太夫の風俗は素朴といおうか、質素といおうか。
 図1と図2の落差は、いったい何なのだろうか。

 

 一般に平和な社会であれば衣食住など、人々の生活水準は徐々に向上していく。図2と図1のあいだは、およそ百年以上のへだたりがある。
 現在ほど変化は速くなかったにせよ、江戸時代も天下泰平が続いただけに、約百年たてば、衣食住の水準は確実に向上していたはずである。
 図2が描かれた時代より、図1が描かれた時代の方がはるかに華美で、贅沢になっていた。つまり、
 図2の太夫は、絵師が実際に見た、ほぼ実像。
 およそ百年後に描かれた図1は、豊国が当時の吉原の遊女を見て、それを過去に反映させ、想像で描いた虚像。
 ということになろう。
 図1にかぎらず、後世に描かれた太夫ほど、そのいでたちは豪奢になっている。

 もうひとつには、出版文化の発展があろう。
 江戸時代初期には墨一色だった木版画は、後期になると多色刷りの錦絵にまで発展した。つまり、もはや太夫がいなくなった時代になってから、太夫は極彩色の錦絵に描かれ、
「昔の太夫はすごかった」
 というイメージを形成したのである。
 実際の太夫は、図2のような姿だった。