「三韓征伐」は古代貴族の願望をあらわしたフィクションだった!? 連載【神功皇后と三韓征伐の 知られざる真実】第2回。
月読神社の月延石 神功皇后には、三韓征伐の際、石でお腹を冷やすことで出産を遅らせた鎮懐石伝説の他に、石を撫でることで、安産を導いた月延石の伝説もある。

■亡くなった仲哀天皇の代わりに神功皇后が新羅征伐に向かう

 神懸りして新羅を討つようにという託宣を下した神功皇后であるが、仲哀天皇はこれを信じなかった。天皇は、高い山に登り、はるかに海を見渡して、国などまったく見えぬのに神はどうして見えもしない新羅を討てというのか、と神に問いかける。このことに神は怒り、仲哀天皇は死者の国へ行くべきであるといわれてしまう。

 この場をとりなした重臣の建内宿禰にすすめられて、仲哀天皇はしぶしぶ琴をとりよせて弾き出す。琴は「言」に通じることから神聖な楽器とされ、神意をきくときなどに用いられた。

 ところが神に見放された天皇にもはや復活の場はなかった。『古事記』では、天皇が弾き始めた琴の音色がほどなくとだえてしまう。どうしたことかとみてみると、天皇はすでに亡くなっていたというのである。

『日本書紀』では、仲哀天皇は熊襲と戦って敗れて死ぬことになっているが、中には戦死したとされる伝承も記されている。いずれも神功皇后に神懸りして出された託宣に従わなかった結果といえよう。

 

 こうした経過をへて、神功皇后は新羅平定に向かうことになる。俗に三韓征伐と称されるが、馬韓(のちの百済)、辰韓(のちの新羅)、弁韓(のちの伽耶)のことではなく、もっぱら新羅に向けての出兵である。これに百済・高句麗が関係してくるので三韓征伐と称されるのである。

 三韓征伐を『日本書紀』でみるならば、神功皇后摂政(前紀)9年10月3日に対馬の和珥津から出発したことになっている。神功皇后たちの軍勢が出発すると、飛廉は風をまきおこして一行を助け、波の神も波をおこして軍船の進行を助けた。そればかりでなく、海中の大魚たちがことごとく浮かび上がってきて船をかついで泳いだとある。そのため、軍船のスピードはいやが上にも増し、水夫たちがまったくこがないで新羅に到着したという。このことによって神功皇后の軍船がまきおこす波が新羅に押し寄せ、国土の半分もが波におおわれてしまう。こうしたあり様に新羅王は恐れおののき、人々を集めて建国以来このようなことが起きたことはないといった。そして、もはや天運が尽きたかといったが、そのとき神功皇后の軍船が海に満ちて、いっせいにときの声を上げた。

(次回に続く)