いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? キケロ編。

■人生そのものが一つの哲学となる。キケロとはそんな哲学者だ。

 

 

 古代ローマを代表する文筆家、弁論家であり、6歳年下の英雄カエサルの政敵として生涯に渡り政治的闘争を続けた。高潔で清廉な人格から高く尊敬され、権力の中枢にあっても正義を貫き続けた。

 日本ではカエサルのほうが有名で、キケロに関しては一般的にほとんど知られていない。だが、欧米では教養の基礎となるラテン語文学の代表的人物として、雄弁家として、そして独裁者に対抗して共和制を擁護した偉人として、よく知られた人物となっている。

「善き生き方」を知る哲学者が統治者となることで国家の調和が保たれると論じたのはプラトンである。その意味で言えばキケロは理想的な統治者であったのかもしれない。だが現実は非情である。その清廉さ故に、キケロは血なまぐさい権力闘争の時代にあったローマで最終的に覇権を握れず、非業の最期を遂げることとなった。

 キケロの生家は名門貴族ではなく、新興の騎士階級に属する。少年時代のキケロはギリシアから来訪していた哲学者たちに様々な学問を学び、やがて弁護士になった。

 当時のローマは、金権政治や権力者の不正が蔓延る社会だった。弁論家として天賦の才を与えられていたキケロは、強い正義感に基づき、数々の不正を暴き立てていく。

 独裁者スッラ一味に濡れ衣を着せられた人物の弁護で見事に冤罪を証明してみせたり、財務官として就任した先のシチリアで属州総督の悪事を暴き立てたり……。正義を重んじる「善き生き方」をキケロが貫いたのは、少年時代やその後のアテネ留学で学んだギリシア哲学の思想を、強い信念の下に自らの行動によって実践していったからである。

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