いまも語り継がれる哲学者たちの言葉。自分たちには遠く及ぶことのない天才……そんなイメージがある。そんな「哲学者」はいかに生き、どのような日常を過ごしたのか? キケロ編。

前編:キケロ。覇権を握れず、非業の最期を遂げた哲学者

■国外追放処分を受けたキケロ 

 

 クーデターによる国家転覆の危機を救ったキケロに対して、元老院から「祖国の父」という称号が与えられることとなった。だが、クーデターを企んだカティリナ一味への即時死刑執行処分は、当時のローマの法的手続きを逸脱した強権的行為であったのも確かだった。

 このことが咎められ、カティリナ事件から約4年後、カエサルの息のかかった護民官によって、今度はキケロが国外追放処分を受けてしまう。これを機に、彼はギリシアのテッサロニキに移り住み、静かに読書と執筆に勤しむ日々を送ることにした。

 だが隠遁生活も長くは続かなかった。翌年、カエサルと対立していたポンペイウスの指示によってキケロのローマへ召還されることとなる。「祖国の父」に対するローマ市民の熱狂的な歓迎の中で、キケロはローマへの帰還を果たした。

 キケロがローマから追放されていた間に国政の覇権を争うようになったのが、カエサルとポンペイウスである。二人の権力闘争に対して、キケロはポンペイウスの味方についた。キケロの実力と人望を高く評価していたカエサルは、遠征先のガリアからルビコン川を超えてイタリアに侵入した後、キケロの別荘を訪れて三日間に渡り味方に引き入れるための説得を行った。だが、キケロを心変わりさせることはできなかった。

 ローマを二分したカエサルとポンペイウスの内戦は、カエサルの圧勝に終わる。戦場からローマへ凱旋するカエサルをキケロが出迎え、道中で親密に会話をしたと逸話が残されているが、敗者となったキケロの心中はいかなるものだったのだろうか。共和主義者のキケロにとって、独裁者となったカエサルは最大の敵となっていた。

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