やがて「終身独裁官」という地位に就任したカエサルを暗殺したのは、キケロを支持する共和派だった。暗殺の瞬間にカエサルが叫んだとされる「ブルートゥスお前もか」という言葉でお馴染みの暗殺者ブルートゥスは、キケロと数多くの書簡をやり取りした親しい友人であり、共和主義者として政治的立場も近かった。カエサル暗殺にキケロも一枚噛んでいたという見方もされているが、いずれにせよキケロは独裁者による悪政から国家を救った行為としてカエサル暗殺を称賛している。

 キケロを中心とした共和派は、カエサルさえ暗殺されれば、ローマに共和制が復活すると予想していた。だが実際に生じたのは、カエサルを支持していた民衆が引き起こす混乱であり「独裁者なき独裁制」であった。

 混乱の政局で台頭したのは、カエサルの右腕だったアントニウスである。アントニウスの義父はカティリナ事件の際に死刑に処された者の一人だった。カエサル暗殺事件の因縁も加わり、アントニウスはキケロに対して強烈な恨みを抱いていたことだろう。元老院の最有力者となっていたキケロは、アントニウスと激しく対立することとなる。

 アントニウスとの対立に際してキケロが企てたのは、カエサルの養子オクタウィアヌスを味方に引き入れることであった。元老院の最有力者キケロの庇護を得たオクタウィアヌスは、民衆の支持も得て瞬く間に政界でのし上がり、若干20歳にして元老院議員に就任すると、アントニウス討伐のために指揮権を与えられて出兵した。

 ここまでは、オクタウィアヌスを利用してアントニウスを追いやるというキケロの目論見どおりに事が運んでいった。だが、実際ところ、利用されたのはオクタウィアヌスではなくキケロのほうだった。

 養父カエサルの遺志を胸に秘めたオクタウィアヌスは、アントニウスと共に反共和派として手を組んだのである。その際、オクタウィアヌスは強硬にキケロの死刑を主張するアントニウスの意見を受け入れた。

 死刑執行の危険が迫る中、キケロはすぐさまギリシアに向けて逃亡を始めた。だが、道中でアントニウスの追手に捕まり、殺害されてしまう。死後、アントニウスの命令によってキケロの首と手がローマの広場に晒された。それほどまでに、アントニウスの憎悪は激しいものだったのだろう。

 その後、オクタウィアヌスはアントニウスと対立して勝利を収め、ローマ帝国初代皇帝に就任し、「アウグストゥス」という名を名乗るようになった。皮肉にも、共和制を守ろうとしたキケロの企ては、結果的には共和制を終わらせ、帝制を生み出すきっかけを作ったこととなる。

『書簡集』などからは人間臭い一面も垣間見られるが、キケロは生涯一貫して、ギリシア哲学が追求した「善き生き方」を実践しようとし続けた。だが、国家反逆と見られる恐れを乗り越えてルビコン川を渡る決断をしたカエサルや、権力者をしたたかに利用したオクタウィアヌスのように、時にダーティーな行動を出来る部分が求められるのが、統治者の現実なのかもしれない。哲学が掲げた理想を実現するのは、かくも難しいものなのである。