■「浅草お兄さん会」からM1へ

(中略)

 大学卒業後の2000年、現在の事務所に所属した。そして『M-1グランプリ』では2003年から2007年にかけて、5年連続で準決勝進出。2008年には、初の決勝進出を果たす。

 決勝進出までには、どういう変化があったのか?
「『虎の門』という番組に出ていた縁もあって、テレビ朝日の藤井智久さんにネタを見て頂いたんです。そしたら、もっと栃木ネタを強調した方がいいとアドバイスをもらいまして」(福田)

「『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ)にも出始めの頃で、1、2分の栃木ネタを量産しました。それが効果的だったんです」(益子)

 手ごたえがあるネタはライブで繰り返し試し、余計な部分を削った。 

「今から考えると、その時々のネタ番組に出られたのがラッキーでした。普通は『オンバト』とかで連敗すると、絶望的になって辞めちゃうコンビもいるんですが、僕らはちょいちょいテレビに出られて、へこんでいる期間もあまりなかった」(福田)

 そのオンバトでは、3連敗のあと20連勝。「ちょっとだけの田舎ネタ」から「栃木ネタ」を増やし、衣装も若手では珍しいスーツに変えた。

「ピンクのタオルとか頭に巻いたり、半ズボンで田舎少年のイメージを出していたのですが、これじゃ60歳までできないだろと思ってスーツにしたんです」(福田・益子)

 U字工事は、テレビに出続けながらマイナーチェンジをしていった、稀有な若手コンビかもしれない。オンバト以降の全国区での活躍は誰もが知る所である。

『芸人「幸福」論』 より構成〉

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