■救われた父の言葉

 そんなある日、飯塚は父親に呼ばれた。そこでまさかの言葉をかけられる。

「今のお前の顔は生き生きとしていない。俊太郎、もう一度芸能界に戻れ」

 大学受験で14校落ち、暗い部屋で落ち込んでいたあの時とまったく同じ言葉を父親からかけられたのだ。「好きなことをやれ」と。

 飯塚はすぐに上京した。知人に教えてもらった「ワハハ本舗」に入団した。すでにその時32歳。しかし演技の基礎があり昭和風の男前の飯塚は、ワハハ本舗の公演では真面目なセリフを照れずに言えば言うほど笑いをとれた。

 また、飯塚はワハハ本舗の公演の他にも、様々な活動をしている。例えば、単身でニューヨークに乗りこみ、公園で「サムライ・スタンダップコメディ」と称して活動し、放浪したこともあった。しかし劇団主宰の喰始(たべ・はじめ)からは、いつもダメ出しを受けていた。「二枚目のお前がジョークを言っても、つまらないんだよな」と。

 そんなある日、稽古場にあった段ボールを見て、絵本好きだった子供のころの空想がひらめく。飯塚は段ボールを「冷蔵庫」に改造しはじめた。それをすっぽりかぶり、ダメ出しを逆手にとって寒いダジャレを連発するスベリ芸にした。「冷蔵庫マン」の誕生である。飯塚が本気でダジャレを言えば言うほど
「スベるんですよ」。

 ヘンな幸運。

 それ以降は各地のお笑いライブに出演しまくる日々が続く。「ラ・ママ新人コント大会」の名物コーナーであるゴングショーに20代の若手と一緒に出続けた。ブッチャーブラザーズが主催する「東京ビタミン寄席」でもおなじみ。冷蔵庫マンが出てくると、観客の誰もが弛緩した笑顔になるのだ。

 2010年には49歳で結婚。翌年の6月3日には一般公募で『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日)に出演。番組内でネタも披露。ツイッターのHOTワードに「冷蔵庫マン」が一瞬だけ浮上した。

「今がいちばん幸せ」という飯塚。でも、「好きなことをやっているからね」というその言葉には、苛烈な人生と父親の言葉があったのだ。

 今日もどこかで、冷蔵庫マンは冷え冷えのギャグを言っている。

『芸人「幸福」論』 より一部を抜粋し再編集しました〉