統合失調症の典型的な予兆があっても、本人に自覚がない場合は治療も難しい。
そこに誤診が加わることで事態はさらに悪化、最悪の事件が起きた。事件の背景を、『殺人に至る「病」 精神科医の臨床報告』を上梓した精神科医の岩波明氏が解説する。

--「中野テレビ騒音殺人事件」は、統合失調症が引き起こしたということですが、そこに至るまで何もなかったのでしょうか。

 

岩波 統合失調症の初期症状として、犯人は高校時代に「自己臭妄想」を起こしています。これば自身が嫌な臭いを発して、他人に不快な思いをさせているのではないかという症状です。また、高校を卒業してからは、誰かが自分の部屋を覗いているという「注察妄想」が認められます。予兆は充分にあったわけです。

--家族はどう対処したのですか。

岩波 統合失調症では本人に病気の自覚がないことが多く、本格的な治療が遅れてしまうことがあります。犯人の両親もそれでたいへんな苦労をしたようです。なだめすかして診察を受けさせても、あとで怒り狂うなど手に負えません。ある日、母親が新聞記事を見てこれは息子のことだと、精神科医を訪ねそこでもらった「病名」が「思春期挫折症候群」というものでした。

--それから治療が始まったのですか?

岩波 いえいえ。「思春期挫折症候群」というのはその医師の造語であり、治療の方針はあやふやでした。適切な投薬もされず、犯人は放置されることになったのです。暴力事件を起こせば警察が介入しますが、家庭内のことだとなかなか難しい面があります。

 

--つまり、その精神科医は誤診をしたと。

岩波 誤診でした。ただ、その医師をかばうわけではないですが、仮に統合失調症と診断を受けても、本人が治療に素直に従ったとは考えにくいところもあります。

--そしてむごい犯行に至るわけですね。

岩波 犯行後、彼は無灯火で自転車に乗っていたところを警官に職務質問され、血の付いた姿で「人を殺してきた」といいます。そのようすは5人も殺したとは思えないほど冷静だったといいます。それは、取り調べのときも、松沢病院における精神鑑定のときも同様で、犯行の自覚のない状態が続きました。

--結局、責任能力を問われず犯人は不起訴となりました。

岩波 以降、彼は精神科病院に措置入院させられます。社会復帰施設に移すことも検討されましたが、症状が改善せず見送られました。そして、事件から30年以上が経つ今でも、彼は精神科病院の住人のままなのです。

(取材・構成・写真:宇野正樹)