NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンのシグニチャーモデルとして生まれた〈AIR JORDAN〉。誕生から30年を超え、その背景や物語を知らずにファッションアイテムの一つとして楽しむ世代も増えてきた。そんな「マイケル・ジョーダンを知らない世代」のためのエアジョーダン基礎講座として、ナンバリングをAJ1から順に振り返りながら歴史を紐解いてきた。

本連載のエピローグとなる今回は、今一度シリーズの「ゼロ」地点を振り返って見たいと思う。
今なお「現役」として君臨し続けるエアジョーダン。その底力の原点とはーー?

 

「悪魔の靴」と揶揄された革命的なバッシュは
いかにして人々の心を掴んだのか?

写真を拡大 有名なAJのウイングマークは、ピーター・ムーア氏が手がけたデザイン。彼は現在エレクトロニックアーツ社のスポーツ部門を統括し、過去マイクロソフトの副社長としてX BOXの復活に活躍した経緯も持つ。

幸運な偶然の積み重ねが「奇跡」のシューズを輩出

 ちょっと昔話で申し訳ないが、ちょうど日本でエアジョーダン1が発売された当時は、まさに西海岸ブームの真っ最中。メンズファッションで言えば「POPEYE」が当時における日本の若者の絶対的なバイブルで、誰もがこぞってアメリカ西海岸カルチャーのファッションに憧れていたのだ。
 対して、エアジョーダンが生まれた当時の全米スポーツカルチャーは、「ポスト・アディダス」。カリーム・アブドゥル=ジャバーやRUN DMCが築いたアディダス・スーパースターの牙城を誰が崩すのか?さまざまなスポーツメーカーが躍起になっていた時代だ。

 

 おそらくエアジョーダンも、そうした全米の流れの中で生み出されたシューズだ。ジャバーやドクターJ(ジュリアス・アービング)などNBA人気プレーヤーが履くバッシュは、必ずヒットモデルとなった。そこでナイキは当時ナイキのバスケットボール・アドバイザーであったソニー・バッカーロが強く勧めるノースカロライナ大学3年のバスケットボールプレイヤー、マイケル・ジョーダンに注目した。バッカーロは当時、誰よりも早くジョーダンの素質を見抜き、ナイキ首脳陣をこう説得したと最近のCNBCレポートで述懐している。

 

「さて、いくらある?と私は言った。彼らは『50万ドルなら用意できる』と答えた。そこで私は、『それをジョーダンにつぎ込むんだ』とアドバイスした。アドバイスした。最初、彼らは渋っていたようだがね」。
 しかしジョーダン自身は自称アディダス・ナッツ(アディダス狂)、当時のノースカロライナ大学もコンバースのサポートを受けているという中で、契約交渉は難航した。事実、ジョーダン自身は最後までアディダスと契約したかったが、当時のスーパースターを多く抱えるアディダスがジョーダンを満足させる条件を出さなかったという話は、今では有名なエピソードとして語り継がれるぐらいだ。