■介護離職は「逃げ」という論調は間違っている

連載「母への詫び状」第十九回〉

 なるべく明るい方向を向きつつ、介護離職の話題を取り上げよう。前回50代無職独身男が身につまされた「ミッシングワーカー」問題はそう思って書き始めたつもりだったが、まずはミッシングワーカーの厳しい現実を伝えてからと筆を進めるうちに、ついつい共感してしまい、予定とは違うネガティヴな内容で終わってしまった。

写真:フォトライブラリー

 社会復帰の際に賃貸住宅をスムーズに借りられなかったとか、自分の歯を磨くより親の入れ歯を洗うのが先だから、歯が黄色くなってしまったとか、軽い自虐ジョークのつもりだったのに、ただの悲惨なエピソードとして受け止められてしまったようだ。入れ歯の話は「思わず自分の口にポリデントを入れたくなった」とでも付け加えておけば良かった。

 ミッシングワーカーに関する反響で、一番よく目にするのはこんな意見である。

「介護離職なんて絶対にしちゃいけないと、よくわかりました」
「なぜ親のために、自分の仕事のキャリアを台無しにしなくてはいけないのか」

 もっともな意見だと思う。一度、介護離職をすると、介護を終えた後の社会復帰が難しい。年齢的に再就職の口が少ない上に、介護期間中に社会との接点が失われて、本人の気力も体力もそがれてしまうからだ。

 ぼくはフリーライターという職業上、休職や復職のハードルが低く、勤務先のある人たちと同列に立てないことは重々承知している。しかしそれでも、上のような意見ばかりだと反論したくなる。

 親の介護のために仕事を辞めることが、まるで「まちがい」や「悪」であるかのような、あるいは「逃げ」であるかのような論調があるとしたら、それはおかしい。

「親のために仕事のキャリアを棒に振るなんてバカじゃないの?」と思う人がいるように、「親の最期を世話して看取ること以上に、大切な仕事なんて本当にあるの?」と思う人だっているだろう。

 介護のために会社を辞めてしまった人が、のちに「辞めるんじゃなかった」と後悔することがあるように、介護より仕事を優先した人が、のちに「親に申し訳ないことをした」と悔恨の念を持ち続けるケースだってあるだろう。

 どっちが正しいわけでもない。どっちが間違っているわけでもない。

 価値観や家庭の事情はみな違うのだから、人それぞれの選択を尊重する世の中の空気があって欲しい。人それぞれの選択が可能な社会の仕組みがあって欲しい。仕事よりも親の介護を優先するという選択を、頭から否定する声ばかり聞くと、正直、辟易する。

 前回紹介したNHKのミッシングワーカーの番組で、最後にキャスターが「働くことは、年金や保険などの仕組みを維持するためにも大切です」と締めていたのには苦笑した。

 働けなくなった人たちを心配しているのではなく、このままだと年金や社会保険の制度が崩れてしまうから、こういう人を減らして仕事に就かせなくてはいけません、と言いたいらしい。介護離職を負のイメージでしか伝えないのは、年金制度維持キャンペーンの一環だったのかと皮肉りたくなる。

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