品川、内藤新宿、板橋、千住の江戸四宿は厳密には江戸ではなく、宿場だった。そのため江戸四宿の旅籠屋は、遊女(飯盛女)を置いていた。

 なかでも、江戸市中から近い品川と内藤新宿は、江戸の男たちにとって手軽な遊里だった。

 図2は、品川の旅籠屋の光景。

 
写真を拡大 図2 『道笑双六』(芝甘交、天明6年)国会図書館蔵
図2 『道笑双六』(芝甘交、天明6年)国会図書館蔵

 街道に面した、格子もない場所で、遊女ふたりが「晒し者」になっている。

 こうした遊女の前を、旅人はもちろんのこと、大名行列も通っていたわけである。

 

 かたや、江戸市中には、岡場所と呼ばれる遊里があった。

 岡場所は幕府の許可を得ていないため、非合法であるが、実際には堂々と営業していた。時代により差はあるが、江戸市中におよそ四十~五十カ所の岡場所があった。

 岡場所の遊女は非合法だから、私娼である。 

写真を拡大 図3『盲文画話』(写本)国会図書館蔵
図3『盲文画話』(写本)国会図書館蔵

 図3は、山下の女郎屋の遊女が男をさそっているところ。

 山下は上野の山のふもとにあった岡場所で、現在のJR上野駅の構内と駅前広場に相当する地域である。

 図に、「けころばし」と書かれているが、山下の遊女は俗に「けころばし」と呼ばれた。

 ただし、山下の岡場所は寛政の改革ですべて取り払われた。

 吉原、宿場、岡場所と見てくると、やはり吉原の張見世には格式があったのがわかる。

 張見世に居並んだ吉原の遊女は、

「あたしは、宿場や岡場所の遊女とは違う」

 と、誇りを持っていたであろう。