江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■現代の風俗嬢の場合

 現代の風俗嬢は本業とアルバイトを問わず、決められた時刻に店に出勤するまでは自分の自由時間である。

 ぎりぎりまで自宅で過ごす人もいるであろう。買い物などをして、時刻を見計らって店に行く人もいるであろう。友人と食事をしながら談笑し、

「あ、ごめん。もう、行かなきゃ」

 と、その場で別れ、あわてて店に駆けつける人もいるかもしれない。

 あるいは、まったく別な職場で仕事を終え、店に向かう人もいるであろう。

 みな、時刻が来るまでは、基本的に店とは無関係な空間や人間関係のなかで過ごすことができる。

 要するに、職住分離しているからである。

 ところが、妓楼は職住同一だった。

 遊女は仕事も生活も、妓楼内という空間で過ごさなければならなかった。周囲の人間関係もまったく同じである。

 吉原は一日に二回の営業で、

・昼見世 九ツ(正午頃)~七ツ(午後四時頃)

・夜見世 暮六ツ(日没)~八ツ(午前二時頃)

 に分かれていた。

 もちろん、昼見世から夜見世まで通して遊ぶこともできたが、その分、金がかかった。

 また、夜見世は八ツまでだが、これは妓楼としての営業時間の終了である。寝床の客と遊女には、定まった終了時間はなかった。

 遊女の朝はおそく、だいたい四ツ(午前十時頃)までに起床する。

 昼見世が始まる九ツまでに入浴や化粧などの、客を迎える準備をしなければならないが、自由時間でもあった。およそ二時間の自由時間があったことになろう。

 
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