いま話題の大ベストセラー、漫画『君たちはどう生きるか』(原作:吉野源三郎)。夏休みにも入り、子供たちに読ませようとする親が続出しているという。本当にそれでいいのか、と異議を唱えるのが中田考氏。近著『みんなちがって、みんなダメ』を上梓し、「自己実現」「自己責任」といった現代人の生きづらさの根源が、『君たちはどう生きるのか』のメッセージにあると指摘。むしろ「『君たちはどう生きるのか』を読むとバカになり、そして不幸になる」と警鐘を鳴らした。作家でもあり翻訳家でもある田中真知氏が中田考氏にその真意を問う第2弾。

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■謙虚なダメと傲慢なダメはちがう

ーー中田さんは、「できもしないことを、できる」というふうに煽っていくのはよくないと言いますが、それによって何が守れなくなるのでしょう。

中田 できないことをやろうとすると失敗しますよね。できないことをやろうとするのは承認欲求に基づいています。でも失敗すれば承認されません。すると、ますます落ち込むわけです。それが問題ですよね。自分の身の丈に合わないことをしようとすれば失敗するんで、さらに承認欲求が満たされなくなる。

ーー周りの流れに惑わされない『君たちはどう生きるか』に出てくるコペルニクスのような人間になろうとすると、不幸になるということですか。

中田 そうです。たしかに世の中には実際に不正はあるんだけれど、不正したからといって、不正をした人の金を盗めば捕まりますよね。そこで「私はコペルニクスだ」と言っても通用しません。

ーー『君たちはどう生きるか』では、すべての人間が、人間らしく生きていけなくては、この世の中は噓だとありますが、すべての人間が、人間らしく生きられるわけでもないことを受け入れなくてはならないということでしょうか。

中田 というか、そもそも、何が人間らしくて、何が立派かということです。実際は「そう、簡単にうまくいくわけがない」とか、いろいろ言い訳がましいことが書いてあります。でも、「うまくいかない」としか書かれていなかったら本は売れません。だからコペルニクスのような生き方をせよという、現実にはほとんどの人にとって不可能なことを幻想として与えている。そういう本です。

ーーでも、そういう言説が人気を得るのはわかる気がします。突っ込みどころはあるにせよ、人間が、自分をみじめだと感じて生きるのはつらい。そんなときに、人間は本来、そんな、みじめなものであってはならないんだ、という願いをもつこと自体は理解できる気がするのですが。

中田 でも、この本の原作が書かれた1930年代のみじめさって、いまは、ほとんどないでしょう。コンビニもある。スマホもある。電気も水道もある。月に500円払えばネットで好きな音楽やドラマをいくらでも楽しめる。たった500円ですよ。昔だったら貴族しか楽しめなかったような贅沢です。どこが、みじめなんだという話ですよ。あの時代に「みじめ」だったことのほとんどは、いまでは解決しています。それなのに、もっとできるんだ、もっとやるべきことがある、できることがあるはずだ、と煽っていくことで、ますます不幸になっている。無用な雑務もどんどん増えている。みんな自分がダメだと感じている一方で、「こうならなきゃいけない」というのをもっている。その基準が高過ぎるんです。ダメならダメでいいんです。だってダメなんだから。

 何度も言っていますが、ダメでちっともかまわないんです。宗教の場合は、ダメというのは神の前での謙虚さに通じます。でも、いまの人が「自分はダメ」というのは、かならずしも謙虚さからではありません。ダメを潔く受け入れているわけではないんです。逆に「こうならなきゃいけない」にしがみついているから、いまが「ダメ」に見える。でも、その「こうならなきゃいけない」は外から与えられたものです。与えられたものに振り回されている。 前にあげた例でいえば、本当はミミズなのに「おまえはヘビだ」という外部の囁きに煽られて、本当に自分をヘビだと勘違いしてしまっているのがダメなんです。「自分はヘビにしては、なんか足が遅い。ダメだなあ」とか思っている。まあ、ヘビもミミズも足はないですけどね(笑)。「オレはダメだ」と言っているからといって、謙虚なわけではない。むしろ傲慢なんです。ミミズなんだからもともと足が遅いのは当然なんです。「ヘビだけど足が遅い、だからオレはダメ」なのではなくて、自分をヘビだと思っているところこそが、傲慢でダメなんです。

ーー外から吹き込まれた理想から逆算して、自分はダメだというのが問題だというわけですね。

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