■小野妹子もターゲットに

 もっとも、一般的にはこの事態は『日本書紀』の()(ぶん)(自分の都合のよいように文辞(ぶんじ)をもてあそぶこと)であるとする推論が大勢を占めている。なぜなら、隋の国書は 隋の正使・(はい)(せい)(せい)が一通もっていて、妹子が別に所持しているはずがないからだ。

 このあたりの事情を、坂本太郎氏は『聖徳太子』(吉川弘文館)のなかで、次のように語っている。

「総じて、このことは事実としてありそうもないことで充たされている。(中略)その人(『日本書紀』の編者)は妹子の偉大な功績にも落度のあったことを示そうとして、 こうした文を作ったのではあるまいか。(中略)なお、もっと憶測を施せば、小野氏 に何等かの反感をもつ者が、こうした記事を作ったのではあるまいか」

 このように坂本氏は、この『日本書紀』の記述を、単に小野妹子個人に対する中傷と位置づけている。だが、これは聖者・聖徳太子に対し『日本書紀』が難クセをつけるはずがないという、従来の固定観念の枠内の発想にすぎず、この枠を越えないかぎ り、朝廷側の真の思惑を見出すことはむずかしい。

 なぜなら、太子からもっとも信頼され、しかも太子の理想を具現化した小野妹子を攻撃することは、暗に太子自身を攻撃していることに変わりないからである。

(次回に続く)

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より