江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■吉原遊びの案内役「引手茶屋」

 吉原の仕組みのなかで、もっとも分かりにくいのが引手茶屋であろう。

 日本堤から大門に通じる五十軒道の両側には、引手茶屋があった。また大門をくぐると、仲の町と呼ばれる大通りがまっすぐにのびていたが、この仲の町の両側には引手茶屋が軒を連ねていた。

写真を拡大 図1『二枚折風爐前屏風』(小野田理童著、文政11年)/国立国会図書館蔵

 大門の外と内に引手茶屋があったわけだが、仲の町にある引手茶屋の方が格が上だった。

 図1に、仲の町の引手茶屋が描かれている。店の前に置いた床几に、花魁と禿が腰をかけている。

 では、そもそも引手茶屋の役割は何なのか。簡単にいうと、吉原遊びの案内役である。

 もちろん、引手茶屋を通さなくても吉原で遊ぶことはできた。

 男は妓楼の張見世で遊女を見て、

「左から三番目の、赤い着物を着た……」

 などと、入口付近にいる若い者に伝えさえすればいい。

 あとの段取りは若い者が付けてくれる。

 二回目(裏)からは、すでに遊女の名前はわかっているので、入口で若い者に告げればよい。

 いっぽう、まず引手茶屋にあがった場合、酒や肴が出る。茶屋の女将は談笑しながら客の好みを聞き取り、妓楼と遊女を手配してくれる。あらかじめ若い者を走らせ、予約もしておいてくれた。

 しばらくして、女将や若い者の案内で、妓楼に出向くという手順である。

 妓楼のほうも、引手茶屋に案内された男は上客として優遇した。

 その後、茶屋の若い者は付きっ切りで客の面倒を見た。宴席にも出て、芸者や幇間の手配、台屋から料理を取り寄せる手配などもした。

 さらに、客が床入りするところまで見届け、頼んでおけば翌朝の決まった時刻に、寝床まで起こしに来てくれた。

 妓楼を出て引手茶屋に行くと、雑炊などの朝食となり、最後に支払いである。
 こうした遊び方は当然、高くついた。

 
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