■協力により力を発揮

 第二次大戦勃発のちょっと前に部隊配備が進められたBf110は、ポーランド侵攻作戦やノルウェー・デンマーク侵攻作戦、そして西方戦ではそこそこの戦いぶりを示した。ところが、続く1940年夏のバトル・オブ・ブリテンで、イギリス空軍のホーカー・ハリケーンやスーパーマリン・スピットファイアといった単発戦闘機にこてんぱんにやられてしまった。双発戦闘機は、特に高出力のエンジンを搭載した単発戦闘機に対して、特別に速度面が優位でさらに垂直面の機動性が勝ってでもいない限り、水平面の機動性(いわゆるドッグファイト能力)では太刀打ちできなかったのだ。

 ハリケーンやスピットファイアに襲われたBf110は、互いに掩護し合うために複数機が集まって円陣を組んだ。前を行くBf110を狙った敵機がこの円陣に沿って追尾を始めると、後続のBf110が敵機の背後から攻撃するという防御戦技で、“デス・サークル(死の円陣)”という勇ましい名称でも呼ばれた。だが実情は、円陣で敵機の攻撃を躱しつつ、隙を見て戦闘空域を離脱する「逃げるための戦技」であり、ゆえに防御円陣の別名でも知られた。

 とはいえ、単発戦闘機にこそかなわないものの、Bf110は双発の汎用機としては良好な素質を備えていた。そこで、低空で敵地に侵攻する軽爆撃機や、鈍重な連合軍の4発重爆撃機を夜間に迎撃する、レーダーを装備した夜間戦闘機へと改造され、終戦まで活用された。総生産機数は約6000機。

 かような次第で、当初の任務に力不足とされても、他の任務に対応して役に立ったことにより、Bf110を傑作機とは呼べないまでも優秀機と称する声は多い。