江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■「そのほうの責任で、女を連れて来い」

写真を拡大 図1 『出謗題無智哉論』(東里山人著、文政8年)

 図1は、客の武士が若い者を呼びつけ、

「何とあい心得て、かようなる失礼をいたすか。きっとあい糺して申しきけやれ」

 と、怒りをぶつけているところである。

 第23回『ダブルブッキングされ…遊女にふられた「もてない」男たち』で、廻しの弊害について述べた。廻しでふられてしまい、泣き寝入りをする男もいたが、図1のように怒り心頭に発して、若い者を呼び付ける客もいた。

 つまりは、

「そのほうの責任で、女を連れて来い」

 というわけである。

 相手が武士だけに、その対応のむずかしさは並大抵ではなかった。

 さて、年齢にかかわりなく、妓楼の男の奉公人を「若い者」といった。

 遊女や客は「若い衆(わかいし)」と呼び、勇み肌の客などは「おい、若え衆(わけえし)」と呼びかけた。

 若い者の仕事は多岐に渡り、接客全般といってよい。

 張見世で相手を見立てた客に遊女の名を教えたり、客の指名を取り次いだりするのも若い者の役目である。また、客から揚代をもらうのも、客と遊女の寝床の設定をするのも若い者の仕事だった。

写真を拡大 図2 『菊廼井草紙』(為永春水著、文政7年)

 図2のように、料理や布団を運ぶこともあった。

 しかし、何と言っても一番大変なのが、図1のような場面だった。

 こんなとき、若い者は、別な客の寝床にいる遊女に声をかけて廊下に呼出し、懇願するしかない。

「客人が怒っているんですよ。ちょいと、顔を出してやってくださいな」

「いやだよ、あんな野暮な侍なんか」

「そんなこと言わずと、お願いしますよ」

 若い者は遊女をなだめすかし、武士のもとにやって、どうにか怒りをしずめる。