■聖徳太子の怨念と救世観音にかけられた呪い

宿禰の長寿にあやかるよう、聖徳太子が名付けた と伝わる近江八幡・長命寺からの琵琶湖の眺め

 聖徳太子に対する『日本書紀』の不自然な態度、そして聖徳太子の死だけを集めた奇妙な文献の存在――このふたつを考えあわせれば、たしかに「聖徳太子自殺説」は魅力的な響きをもって聞こえてくる。

 もし朝廷側が急激な改革を拒絶して、 そのことにより聖徳太子が孤立し、結果的に"聖者"の死を招くことになったとすれば、その責任はもちろん朝廷側に嫁せられたことであろう。そこで 『日本書紀』は、聖徳太子の死因を隠匿 せざるを得なかったということになる。

 しかし、私はここで、斑鳩宮跡(上宮王家滅亡事件に際し焼失したとされる)に建てられた法隆寺東院伽藍夢殿に祀られている「太子等身像救世観音」のことを思い出さずにはいられない。この仏像の異様さをみるにつけ、聖徳太子が自殺したとはとても思えないのである。 このことを理解していただくために、この「救世観音」について説明しよう。

現在では年二回、春と秋に開帳されるこの秘仏は、明治一七年(一八八四)、米国人フェノロサと岡倉天心の手によって発見されるまで、およそ五○○ヤード(四五七メートル)の木綿布でぐるぐる巻きにされ、固く鍵をかけられていた。もしこの秘仏を表に出せば天変地異が起こるという伝承が残されていたためだ。この美しすぎる仏像は、まるで死体かミイラのように夢殿で眠りつづけていたのである。 まさに正真正銘の"秘仏"だったのだ。

 ところが救世観音の謎は、なにもこのような奇妙な保管の仕方だけではなかった。 仏像の様式としても常識を逸脱していたのである。

 特徴はふたつ。まず仏像の背面がくりぬかれ空洞になっていること、そして光背が 直接後頭部に打ちこまれていることだ。

 この奇怪な事実に注目した梅原猛氏は、『隠された十字架』(新潮文庫)のなかで次のように語っている。

「仏像を彫刻し、中を空にする。それは技術的には一体の仏像を彫るより困難であろう。この精密な傑作を、技術的未熟さのために、あるいは手間をはぶくために、背後をつくらなかったとは考えることが出来ない。これは故意に背後をつくらなかったとしか考えられないのである。(中略)なぜ、他ならぬ聖徳太子等身の像の中身を空にしたのか。それは明らかに、人間としての太子ではなく、怨霊としての太子を表現しようとしたからであろう」

 さらに梅原氏は、後頭部に直接光背が打ちつけられていることに関して、

「それは日本人の感覚からいって、最大の涜神行為である。それは恐るべき犯罪である。聖なる御堂の聖なる観音に、恐るべき犯罪が行われている。ありうべからざることである。それがありうべからざることであるゆえに、今まで誰一人として、この釘と光背の意味について疑おうともしなかった」

 としたうえで、

「もしも日本人としての眼をもっていたならば、当然この仏像の頭に釘がうたれていることに疑問をもったはずである。仏像の頭に釘をうつ、それは日本人の感覚として耐えられないことである」

 と述べている。

(次回に続く)

〈『聖徳太子は誰に殺された?』〉より