元週刊誌記者という異色の経歴を持つ僧侶がいる。新刊『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』を著した、向谷匡史氏だ。仏教とヤクザを描く、独特の視点を持つ氏の頭の中をのぞいた。全5回の連続インタビュー第2回。
前回は向谷氏の記者時代の事とヤクザとの出会いについてお話しいただいた。今回は僧侶になったキッカケと向谷氏の失敗に対する考え方についてです。

■人間誰しも自己変革の願望がある

――ジャーナリスト、文筆家として活躍されていた先生が、なぜに僧侶になられたのですか?

 潜在的には人間誰しも自己変革の願望があると思います。どんなにハッピーな立場にいても何となく変えてみたい、自分の人生をどこかでちょっと変えてみたいという願望があると思いますが、私の場合、自己啓発本を数多く出版し、物事に対する価値の尺度、例えば「あなたの生き方は良いですよ」でああったり、「その処し方は悪いですよ」なんて言っていますが、それはあくまで私の経験則でしかありません。

 

 そんな基準なんて、私が生きてきた50数年の人生の中で、勝手に判断しているわけではないですか。しかも、そこに利害も絡んだりするから、そうではない、確かなものが欲しくなったのですよ。なんでもよかったのですが、たまたま私の先祖代々が仏教で浄土真宗だったものですから、ちょっとかじってみようかと思ったのです。

――直接的なきっかけというか、トリガーになったような出来事があったわけではないのですか?

 特に明確なきっかけはなかったのですが…。本当に、たまたま思いついたのです。その頃はちょっと詩吟をかじっていて、稽古の帰りにひょいとそんなことを思ったんですね。詩吟の中に、「青山高く聳ゆ 白雲の辺」なんて言葉が出てくると、“いいなぁ”と思ったりして。“今のままの生き方で良いのかな?”みたいな気持ちがどこかにあったのだと思います。

 私は『葉隠』の中の「大事は軽く小事は重く」という言葉が元々好きで、何事もだいたい軽はずみではじめてしまう。カミさんと学生結婚したのも軽はずみだったし(笑)、そういう性分なんですかね。それに理屈をつけるとすれば、突然変異でなければ世の中や自分は変わらない。

 今まで通りやって、自分の意志で動いていると、結局、今の延長線にしかならないですよね。否応なしにちょっとどちらかに曲がるというのは突然変異でしかない。ダーウィンの進化論ですよ。だからばっと変えちゃうわけですよ、もう後先考えずに。そうすると案外、何とかうまくいく。

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