「戦う」という言葉とは相反する「大名行列」と、斬新なタイトルが付けられた新書『戦う大名行列』。著者である歴史家・乃至政彦氏は、戦国時代に始まった「兵科別編成」を起源とする「大名行列」こそ、徳川時代に平和をもたらした!? 知っていたはずの武将や陣形の概念が変わる? 第1回第2回第3回につづく連続インタビュー、最終回!

■軍隊の画一化を図った2代将軍・徳川秀忠

 

徳川家が豊臣秀吉を滅ぼした「大坂の 陣」は、まさに軍隊の総決算といえます。慶長19年(1614)の冬の陣にて、2代将軍・秀忠はその「御先手」に、一番・伊達政宗(陸奥仙台藩主)、二番・上杉景勝(出羽米沢藩主)、三番・佐竹義宣(出羽久保田藩主)を任じます。ここで景勝は、謙信以来の縦列体形「車懸り」を復活させるのです。しかしここで、のちの大名行列における「反面教師」となったのが、伊達政宗でした。

 このときの陣立書をみると、兵の総数は5200人と控えめ。しかし注目すべき点は、先鋒の片倉重綱、伊達宗実、そして伊達定宗より後方に続く27隊のうち20隊が鉄炮隊で占められているのです。鉄炮の数は3430挺。なんと65.9%もの高い鉄炮配備率です。 上杉家でも密かに鉄炮の製造がされていましたが、政宗ほどの配備率には至っていません。ここまで鉄炮を集中配備した大名は伊達政宗だけでしょう。これを見た秀忠は2年後の元和2年(1616)に、諸藩の軍制を見直し、統一基準を定めて、長柄鑓の比率を大幅に上げさせるのです。

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