江戸時代に遊郭が設置され繁栄した吉原。その舞台裏を覗きつつ、遊女の実像や当時の大衆文化に迫る連載。

■割床と名代

 江戸の遊里の習慣や制度のなかで、現代人の感覚でもっとも受け入れがたい、あるいは耐え難いのが割床(わりどこ)であろう。

 割床とは、いわゆる相部屋である。

 部屋を屏風や衝立で仕切って複数の布団を敷き、それぞれで遊女と客の男が性行為をする。

 視界こそさえぎられるが、当然ながらふたりの会話はもちろん、女の「ああ、いい、いく」などの淫声は隣に聞こえた。隣どころか、部屋中に筒抜けといってよかろう。

 現代でいえば、部屋に二段ベッドをたくさん並べ、そこで客とフーゾク嬢がプレイをするようなものだろうか。もちろん、こんなフーゾク店は客から敬遠されるのは間違いない。

 ところが江戸時代、江戸の遊里では割床が当たり前だった。江戸に限らず、各地の宿場の女郎屋や、各地の遊廓でも同様であり、割床は全国的に当たり前だった。

 図1は、岡場所のなかでも最高級といわれた深川仲町の光景である。寝床と寝床は屏風で仕切られただけなのがわかろう。

 戯作『仕懸文庫』(山東京伝著、寛政3年)に、三人連れの武士の深川仲町の遊びが描かれているが、寝床は八畳の座敷に三組の布団を敷く割床だった。
屏風で仕切られただけの寝床で、武士三人はそれぞれ遊女と情交する。

写真を拡大 図1『仕懸文庫』(山東京伝著、寛政3年)

 吉原でも、下級遊女である新造は個室をあたえられていないので、客と寝るときは「廻し部屋」と呼ばれる大部屋で割床だった。

 図2は、吉原の妓楼の割床の情景である。左の客は痴話喧嘩をしているようだ。喧嘩の遣り取りはもちろん、筒抜けだった。

写真を拡大 図2『鶸茶曽我』(芝全交著、安永9年)

 上級遊女である花魁は個室を持っていたので、客は個室に迎えた。しかし、廻しで複数の客がついているときは、一番大事な客を個室に迎え、ほかの客は廻し部屋に寝かせた。