保育所不足は戦後から何度も問題になってきたにもかかわらず、放置されてきた、とパオロ・マッツァリーノ氏は新著『歴史の「普通」ってなんですか?』で述べています。

■保育所は狭き門

 
 

 平成日本で大きな社会問題のひとつとなっているのが、保育所不足。保育所にこどもを預け、女性が働きに出る。こんなあたりまえのことが、いまの日本では非常に困難を伴うのには驚かされます。こどもを保育所に入れるにはさまざまな要件をクリアし、点数を積み上げていかねばならないというのだから、まるでなんとかクエストみたいなゲームのよう。なかには保育所に入れやすい月にこどもが生まれるよう、逆算して計画的に子作りに励む夫婦もいるというのだから二の句が継げません。

 

 保育所の狭き門を突破するためには、想像を絶する労力が必要とされるのです。そこまで努力してもダメだったら、そりゃあ「保育園落ちた、日本死ね」なんて過激な恨みごとのひとつもネットに書きたくなるのが人情でしょうよ。母親たちが心身ともに追い込まれている実情は国会でも取りあげられましたが、役立たずな国会議員たちは、ネット上の自作自演だと決めつけたり、死ねなどというのはヘイトスピーチだからいけない、なんて的外れな方向に論点をそらそうとしてました。そのくせ自分らの議員年金復活なんて話題になるとやたら熱心に取り組みます。

〈『歴史の「普通」ってなんですか?』より構成〉

本書では、なぜこれほど保育園対策が後手に回ったのか?という考察や、昭和39年当時の待機児童数が150万人にのぼっていたため、廃品回収業の篤志家じいさんが自宅を改装して保育園を造った事例や、主婦と学生が保育園を運営した話も紹介しています。