■自由に反論を出し合える空気はなかなか生まれない

 今年は明治維新150周年の年である。維新以来、日本には西洋近代の制度や価値観が導入され続けてきた。民主主義もその内の一つである。日本においても時代の進展と共に選挙制度が整えられ、選挙権が拡大されてきたし、特にGHQ主体の戦後改革を経て民主的な制度が拡充された。だが、日本において本当に民主主義は根付いたのだろうか。

「民主主義」とは選挙や多数決、統治形態だけを意味するのではない。ある組織やコミュニティにおいて、メンバー同士の平等な関係性や異論を出し合う自由が認められていることが民主主義の実践において不可欠となる。

 たとえば、ある組織やコミュニティにおいて多数決で採決をするとしよう。もし、メンバー同士の間に平等な関係性が保障され、異論を出し合う自由な空気があるとすれば、賛成、反対の立場から多様な意見が出され、それぞれのメンバーが臆することなく、なおかつ敬意を持って他者の意見に反論し、議論が熟していくこととなる。議論に参加したメンバー全員が賛成意見、反対意見を丁寧に検証した上で採決が行われ、結論が出されれば、その結論は十分に民主的な結論といえるだろう。

 民主主義は単にシステムや制度の問題ではなく、人々の間の関係性、行動様式、他者への態度、共有される倫理などのような、人間の「生き方」の問題でもあるのだ。

 だが、現実の組織やコミュニティでは、メンバー同士の力関係は対等ではなく、自由に反論を出し合える空気はなかなか生まれない。

 特に、日本社会においてこの傾向は強い。メンバー同士の力関係を忖度し、空気を読んで場の空気を壊すような意見を出すことは慎まれる。その結果、年長の人、目上の立場にある人、声ばかり大きい人の意見が、深い議論を経ずに、批判的な検証にさらされることのないまま採用されることとなる。

 では、何故日本社会においてそのような傾向が強いのだろうか?

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